敷浪の丘に祀られた物部韓國連神津主命、降臨の御船岩や潔斎の地も
重浪神社 兵庫県豊岡市畑上843
[住所]兵庫県豊岡市畑上843
[電話]0796-28-2468 - 絹巻神社

重浪神社(しきなみじんじゃ/しぎなみじんじゃ)は、兵庫県豊岡市畑上にある神社。山陰本線の城崎温泉駅の南東約6キロ、気比川上流。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「重浪神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

韓国の諸国が朝鮮族の南進によって朝貢しなくなり、大売布命の末裔、物部多遅麻連真鳥が第25代武烈天皇の勅により韓国に遣わされ、平定した。

この功により、真鳥は物部韓国連(からくにのむらじ)を賜った。その子が榛麿で、第29代欽明天皇25年(564年)、城崎郡司となった。

古名を墾谷、針谷、榛谷ともいった飯谷に居住し、榛麿が父である物部韓国連真鳥を祀ったのが、韓國神社の起源。

榛麿の子が神津主命で、神津主命が亡くなると、その子である久々比(鵠)が第33代推古天皇25年(617年)12月、城崎郡司となり、敷浪の丘に父の神霊を祀った。

これが当社の起源である。ちなみに、久々比(鵠)も死後、奉斎された。現在の久々比神社である。また、同じく榛麿の子で、多遅麻の校尉に格麿がいる。

格麿は大石宿禰を賜り、以後大石とした。格麿の子が三原麿で、城崎郡の軍団大将である大領を務めた。鏡神社の御祭神として祀られている。

つまり、当社名は敷浪(しきなみ)の転訛ということになる。一説には、往古は湖水滔々として、社近くまで水に浸り、浪が寄せていた場所ともいわれる。

そのため、境内に今も御船岩がある。社殿左の巨岩である。この御船岩は磐境であり、御祭神が天降りした時、ここに船を繋いだという。

したがって、この磐を天磐船と考え、但馬国造の祖である饒速日命を当社の御祭神とする説もあるという。

岩は上表面が長径約6メートル、横径約4メートルのやや凹凸ある平坦面、地上からの高さは約2メートル。

『兵庫県神社誌』によれば、当社の奥に臂折瀧という瀧があり、俗に菊水瀧とも。また、男坪女坪という小瀧があり、神の神輿という。下流に竈石があり、御祭神が潔斎した地とも。

上津大明神とも呼ばれた。御祭神は物部韓國連神津主命ではあるが、上津綿津見命(表津綿積神)とされ、海部直の祖神を祀った社とも。

江戸時代前期の承応年間(1652年-1654年)、村内の火災で当社殿が類焼、江戸時代中期の寛保3年(1743年)に本殿が再建された。

江戸時代後期の文政3年(1820年)、幕末の嘉永3年(1850年)に社殿が造営された。明治6年(1873年)10月、村社に列した。

例祭は10月15日。境内には、四脚鳥居、中に囲炉裏がある割拝殿と興味深い社殿が並び、その奥に本殿が鎮座する。

長屋形式の境内社があり、稲荷神社、山神社、四社恵神社、丹生神社、祇園神社、宇賀神社、秋葉神社、山野口神社が祀られている。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功、家内安全
重浪神社 兵庫県豊岡市畑上
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