『和名抄』「丹後国与謝郡物部郷」の地、4月に合同祭礼
[住所]京都府与謝郡与謝野町石川2013
[電話]-
物部神社(もののべじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町石川にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の与謝野駅の南東約2キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「物部神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当地は『和名類聚抄』にある「丹後国与謝郡物部郷」に比定されており、物部氏の古くからの領地と考えられている。
物部氏は、旧野田川町今川を本貫としており、当地に祖神を祀った、とも。御祭神は物部氏の祖である宇麻志麻遅命。
ただし、一説に蘇我石川宿禰命とも。武内宿禰の子で、物部氏本家を滅ぼした蘇我氏の祖であるが、地名との兼ね合いで考察されたものか。
丹波国の式内社には与謝郡に矢田部神社が、熊野郡と丹波郡に矢田神社があり、いずれ物部氏と関連している。矢田部神社は当社南3キロほど。
熊野郡の式内社「矢田神社」の論社は、京丹後市久美浜町の海士の式内同名神社と、佐野の矢田八幡神社がある。
当社の神殿は江戸時代中期に造営されたと伝わるもので、権現造向拝付きで欅材で造営され、屋根は榑葺。
御神体は神鏡。神像として、左大臣、右大臣の木造座像が伝わっているともされたが、現存していない。
神殿正面の「物部大明神」の額は、江戸時代中期の天明5年(1785年)、日野資枝の筆によるもの。もとは鳥居に掲げられていたもの。
参道の鳥居は横3.7メートル、高さ4.3メートルで、江戸時代後期の文化10年(1814年)に建立されたもの。
掲げてある扁額「物部神社(物部社)」は「正二位清原宣光公」の落款があるとされる。綾部市の伊也神社も清原宣光ゆかりの社。
例祭は4月25日。稲崎神社・大命神社・大宮神社とともに、旧来の石川四社のうちの一つとして、合同祭礼が行われる。
当社より神楽・獅子舞・太刀振り・笹噺踊の行列が出る。宮司・神社総代・区役員を先頭にして、上・中・下地区の屋台とともに大宮神社まで巡行する。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、厄災除け
【関連記事】
・石川四社とは? - 京都府与謝郡与謝野町、4月25日に合同祭礼「丹後の笹ばやし」
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物部神社(もののべじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町石川にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の与謝野駅の南東約2キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「物部神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当地は『和名類聚抄』にある「丹後国与謝郡物部郷」に比定されており、物部氏の古くからの領地と考えられている。
物部氏は、旧野田川町今川を本貫としており、当地に祖神を祀った、とも。御祭神は物部氏の祖である宇麻志麻遅命。
ただし、一説に蘇我石川宿禰命とも。武内宿禰の子で、物部氏本家を滅ぼした蘇我氏の祖であるが、地名との兼ね合いで考察されたものか。
丹波国の式内社には与謝郡に矢田部神社が、熊野郡と丹波郡に矢田神社があり、いずれ物部氏と関連している。矢田部神社は当社南3キロほど。
熊野郡の式内社「矢田神社」の論社は、京丹後市久美浜町の海士の式内同名神社と、佐野の矢田八幡神社がある。
当社の神殿は江戸時代中期に造営されたと伝わるもので、権現造向拝付きで欅材で造営され、屋根は榑葺。
御神体は神鏡。神像として、左大臣、右大臣の木造座像が伝わっているともされたが、現存していない。
神殿正面の「物部大明神」の額は、江戸時代中期の天明5年(1785年)、日野資枝の筆によるもの。もとは鳥居に掲げられていたもの。
参道の鳥居は横3.7メートル、高さ4.3メートルで、江戸時代後期の文化10年(1814年)に建立されたもの。
掲げてある扁額「物部神社(物部社)」は「正二位清原宣光公」の落款があるとされる。綾部市の伊也神社も清原宣光ゆかりの社。
例祭は4月25日。稲崎神社・大命神社・大宮神社とともに、旧来の石川四社のうちの一つとして、合同祭礼が行われる。
当社より神楽・獅子舞・太刀振り・笹噺踊の行列が出る。宮司・神社総代・区役員を先頭にして、上・中・下地区の屋台とともに大宮神社まで巡行する。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、厄災除け
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