国史の荒井神、式内・島物部神社とも、志多非神社とも
[住所]京都府南丹市八木町美里荒井1
[電話]-
荒井神社(あらいじんじゃ)は、京都府南丹市八木町美里荒井にある神社。桂川と園部川の合流地点、山陰本線の吉富駅の北東約1.1キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』丹波国船井郡にある「島物部神社/嶋物部神社」に比定される式内社(小社)で、「志多非神社」の参考社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『日本三代実録』元慶6年(882年)10月9日条に、従五位を授けられた「丹波国荒井神」の記載があり、その頃の存在は確認されている。
当社が郡内の古社であり、また当地を「志麻郷」と言ったことなどから、式内社「嶋物部神社」に比定されている。
志賀剛は、『大日本史』に延喜17年(917年)4月、丹波国郡司として3人の物部氏が来任しているとあることにより、当社と物部氏の関係を推論している。
なお、『丹波志桑船記』では、式内社「志多非神社」に比定している。ただし、通常式内社「志多非神社」は、市内園部町の薮田神社に比定される。
当社には隣接して西光寺があり、神仏分離までは当社に神官はおらず、西光寺の僧が奉仕していた。
永正16年(1519年)、永禄9年(1566年)、明暦3年(1657年)には建造・補修がなされており、棟札が現存している。
現在の本殿は一間社流造檜皮葺。室町時代後期の作とされ、現在は覆屋内に収められている。府登録文化財、市指定文化財。
また、府により、荒井神社文化財環境保全地区に指定されている。明治6年(1873年)、村社に列した。
御祭神は、荒魂神。しかし、式内社「島物部神社」であれば、御祭神は物部氏祖神のはずで、宇摩志麻遅命とする説もある。
宇摩志麻遅命の荒魂神ともされる。ただし、当社は母乳の出を良くする神として信仰されており、荒魂神は似つかわしくないという意見もあるという。
他に、健御雷命・経津主命・天児屋根命・比売神も祀られているとも。春日神社を合祀したものか。例祭は10月21日に近い日曜日。
【ご利益】
子宝・安産・子育て、一族・子孫繁栄
【関連記事】
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荒井神社(あらいじんじゃ)は、京都府南丹市八木町美里荒井にある神社。桂川と園部川の合流地点、山陰本線の吉富駅の北東約1.1キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』丹波国船井郡にある「島物部神社/嶋物部神社」に比定される式内社(小社)で、「志多非神社」の参考社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『日本三代実録』元慶6年(882年)10月9日条に、従五位を授けられた「丹波国荒井神」の記載があり、その頃の存在は確認されている。
当社が郡内の古社であり、また当地を「志麻郷」と言ったことなどから、式内社「嶋物部神社」に比定されている。
志賀剛は、『大日本史』に延喜17年(917年)4月、丹波国郡司として3人の物部氏が来任しているとあることにより、当社と物部氏の関係を推論している。
なお、『丹波志桑船記』では、式内社「志多非神社」に比定している。ただし、通常式内社「志多非神社」は、市内園部町の薮田神社に比定される。
当社には隣接して西光寺があり、神仏分離までは当社に神官はおらず、西光寺の僧が奉仕していた。
永正16年(1519年)、永禄9年(1566年)、明暦3年(1657年)には建造・補修がなされており、棟札が現存している。
現在の本殿は一間社流造檜皮葺。室町時代後期の作とされ、現在は覆屋内に収められている。府登録文化財、市指定文化財。
また、府により、荒井神社文化財環境保全地区に指定されている。明治6年(1873年)、村社に列した。
御祭神は、荒魂神。しかし、式内社「島物部神社」であれば、御祭神は物部氏祖神のはずで、宇摩志麻遅命とする説もある。
宇摩志麻遅命の荒魂神ともされる。ただし、当社は母乳の出を良くする神として信仰されており、荒魂神は似つかわしくないという意見もあるという。
他に、健御雷命・経津主命・天児屋根命・比売神も祀られているとも。春日神社を合祀したものか。例祭は10月21日に近い日曜日。
【ご利益】
子宝・安産・子育て、一族・子孫繁栄
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