氷見庄100ヶ村で奉仕された古社、物部八幡・海老坂八幡
物部神社 富山県高岡市東海老坂1068
[住所]富山県高岡市東海老坂1068
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物部神社(もののべじんじゃ)は、富山県高岡市東海老坂にある神社。永見線の能町駅の北西約6キロ、万葉線の線路を越え、小矢部川を渡り、永見街道沿い。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「物部神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

物部氏の祖、宇麻志摩遅命を祀る。創祀年代は不詳。物部氏の一族は、大彦命が北陸を巡撫した際、従って来たが、命が帰京した後も留って、鎮護の任にあたった。

奈良時代の天平年間(729年-749年)、大伴家持が国司として赴任した時、随行して来た物部氏族たちが、この地に自身の氏神が祀られてあると喜び、崇敬した。

往古は現在地の奥、氷見市との境の山上に鎮座し、氷見庄100ヶ村で奉仕したと伝えられる。この地方の惣社として崇敬された。

氷見の庄物部神社などとも。平安時代前期の仁寿元年(851年)正月、正六位に進んだ。貞観3年(861年)、河内国誉田より八幡宮(応神天皇)を勧請、物部八幡、海老坂八幡と呼ばれた。

八幡宮はもとは海老坂鳥帽子ヶ峰(烏帽子山)に鎮座したとも。現在地も、国道を挟んで東の一帯が海老坂古墳群のある山地で、社地からも鉄剣などが出土している。

安土桃山時代の天正13年(1585年)9月、前田利長が加州松任城から守山城に移り、この頃より当社が武神を祀ってあるとして崇敬し、武運長久などを祈願した。

慶長4年(1599年)、利長が金沢城へ移るに際し、当社の御分霊を金沢城の鬼門である卯辰山に守護神として勧請した。

いわゆる卯辰八幡宮で、現在の宇多須神社。卯辰八幡宮は明治期に金沢城の出丸金谷御殿跡地に遷座し、尾山神社に改称された。

当社はその後も歴代藩王の祈願所として、本殿・拝殿などの建築、修繕は藩費で賄われた。拝殿向拝に菊桐紋、周囲に梅鉢の紋が彫刻されている。

明治になり、現社号に復し、村社に列し、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は9月10日。春祭が4月18日、祈年祭が2月17日、新嘗祭が11月17日。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、厄災除け、武運長久・勝運
物部神社 富山県高岡市東海老坂
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