新家の地、ムクノキの巨樹の天王森に鎮座する山辺の宮
[住所]三重県津市新家町563
[電話]-
物部神社(もののべじんじゃ)は、三重県津市新家町にある神社。雲出川北岸、近鉄名古屋線の桃園駅の南約2キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「物部神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。物部連公、新家連公が当地に居住し、その祖先の宇麻志摩遲命を、建速須佐之男命の相殿に祭祀したのが起源だという。
雲出川は、『日本書紀』雄略天皇3年(459年)に記載される「廬城河」のことで、廬城部連武彦ゆかりの白山町の「家城(いえき)」は、この上流にあたる。
旧記によれば、「山辺行宮、祭神牛頭天王一座素盞嗚尊之荒御魂也。山辺行宮。止由気大神遷幸、山田原へ渡過の時、一宿の旅館、是れその地也」だという。
つまり元伊勢伝承が残る。また、「吾は是れ、素盞嗚の荒魂なり」、「吾、根の国より帰らんとする時、少しの間滞在した地也」とのお告げがあったという。
新家は通常、分家を指す。当地の地名の新家は「にのみ」と読む。新家は摂津の新屋と同じ意味で、摂津には新屋坐天照御魂神社が鎮座する。
尾張氏と物部氏が近づいた際、天火明命と物部氏の遠祖である饒速日命が同神となったとされ、古代の雄族が「新家」の名を独占的に使った可能性が指摘されている。
『日本書紀』宣化天皇紀には、新家連が物部麁鹿火大連の指揮のもと、新家屯倉の穀を筑紫へ運んだ記事がある。
『皇太神宮儀式帳』や『太神宮諸雑事記』からは、渡会郡の郡領を出したこともあったことが分かる。
奈良時代の天平12年(740年)、第45代聖武天皇が伊勢行幸の時、頓宮が置かれたという。その記念碑として現在も「山辺の仮宮」の碑が建つ。
以来、山辺の宮などとも呼ばれた。山辺の御井の旧跡の碑もある。特に山はなく、平地と河川からなった地で、古墳との指摘もあるが、詳細は不明。
ただし、現在もムクノキの巨樹が10本以上もそそり立つ社叢を形成している。天王森とも呼ばれた。ムクノキノ中で、最大樹は幹周3.8メートル、樹高25メートル。
明治41年(1908年)2月20日、村社に列した。主祭神は宇麻志摩遲命。建速須佐之男命を配祀する。
さらに、天忍穗耳命・天菩卑能命・天津彦根命・活津日子根命・熊野久須毘命と、多紀理毘売命・市杵嶋比売命・多岐都比売命の宗像三女神を含む五男三女神を合祀。
彌都波能売命を配祀する。また、菅原神を合祀し、大己貴命・応神天皇・仁徳天皇を配祀する。火之加具土神を合祀する。
例祭は4月10日。本殿は木造板葺の神明造で、他に拝殿・社務所がある。拝殿前に狛犬一対が安置されている。
【ご利益】
厄災除け、一族・子孫繁栄
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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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物部神社(もののべじんじゃ)は、三重県津市新家町にある神社。雲出川北岸、近鉄名古屋線の桃園駅の南約2キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「物部神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。物部連公、新家連公が当地に居住し、その祖先の宇麻志摩遲命を、建速須佐之男命の相殿に祭祀したのが起源だという。
雲出川は、『日本書紀』雄略天皇3年(459年)に記載される「廬城河」のことで、廬城部連武彦ゆかりの白山町の「家城(いえき)」は、この上流にあたる。
旧記によれば、「山辺行宮、祭神牛頭天王一座素盞嗚尊之荒御魂也。山辺行宮。止由気大神遷幸、山田原へ渡過の時、一宿の旅館、是れその地也」だという。
つまり元伊勢伝承が残る。また、「吾は是れ、素盞嗚の荒魂なり」、「吾、根の国より帰らんとする時、少しの間滞在した地也」とのお告げがあったという。
新家は通常、分家を指す。当地の地名の新家は「にのみ」と読む。新家は摂津の新屋と同じ意味で、摂津には新屋坐天照御魂神社が鎮座する。
尾張氏と物部氏が近づいた際、天火明命と物部氏の遠祖である饒速日命が同神となったとされ、古代の雄族が「新家」の名を独占的に使った可能性が指摘されている。
『日本書紀』宣化天皇紀には、新家連が物部麁鹿火大連の指揮のもと、新家屯倉の穀を筑紫へ運んだ記事がある。
『皇太神宮儀式帳』や『太神宮諸雑事記』からは、渡会郡の郡領を出したこともあったことが分かる。
奈良時代の天平12年(740年)、第45代聖武天皇が伊勢行幸の時、頓宮が置かれたという。その記念碑として現在も「山辺の仮宮」の碑が建つ。
以来、山辺の宮などとも呼ばれた。山辺の御井の旧跡の碑もある。特に山はなく、平地と河川からなった地で、古墳との指摘もあるが、詳細は不明。
ただし、現在もムクノキの巨樹が10本以上もそそり立つ社叢を形成している。天王森とも呼ばれた。ムクノキノ中で、最大樹は幹周3.8メートル、樹高25メートル。
明治41年(1908年)2月20日、村社に列した。主祭神は宇麻志摩遲命。建速須佐之男命を配祀する。
さらに、天忍穗耳命・天菩卑能命・天津彦根命・活津日子根命・熊野久須毘命と、多紀理毘売命・市杵嶋比売命・多岐都比売命の宗像三女神を含む五男三女神を合祀。
彌都波能売命を配祀する。また、菅原神を合祀し、大己貴命・応神天皇・仁徳天皇を配祀する。火之加具土神を合祀する。
例祭は4月10日。本殿は木造板葺の神明造で、他に拝殿・社務所がある。拝殿前に狛犬一対が安置されている。
【ご利益】
厄災除け、一族・子孫繁栄
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