丹波道主命の命で物部祖神を奉斎、奈良期に八幡を勧請、式内論社
矢田八幡神社 京都府京丹後市久美浜町佐野864
[住所]京都府京丹後市久美浜町佐野864
[電話]-

矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は、京都府京丹後市久美浜町佐野にある神社。京都丹後鉄道宮豊線のかぶと山駅の南東約6.8キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「矢田神社(丹後国・熊野郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、第10代崇神天皇10年、四道将軍の一人である丹波道主命が勅命により、山陰地方平定のため丹後国に至って、比治の真名井に館を構えた。

そこで、平定祈願のため、矢田部の部民、つまり物部の氏族に祖神を祀らせたのが当社の起源だという。

そのため、当初は饒速日命(あるいは武諸隅命)、第8代孝元天皇、皇后の内色姫命(欝色謎命)を御祭神とした。

物部氏と蘇我氏の争いによって物部氏が滅亡したため、奈良時代になって、矢田部一族は蘇我氏による探索を恐れて、宇佐八幡を勧請して、現社号に改めたという。

当社付近は、石清水八幡宮の荘園だったようで、南北朝時代初期の建武(1334年-1336年)より戦国時代の文亀(1501年-1504年)まで、石清水八幡宮の佐野別宮と称した。

この時代の建武2年(1335年)、貞治2年(1363年)、文亀2年(1502年)の3通の古文書が現存する。

『神霊由来記』によれば、当社が式内であること、当社近くに矢田谷という地があり、住古矢田部族の住居地だったと伝承されることなどが記載されている。

さらに、今古墳屋敷跡用水池などが残存し、時々、高杯布目瓦などが出土し、その一部は当社に保管されている、という。

現社殿は江戸時代後期の文政3年(1820年)9月に再建されたもの。御祭神は応神天皇神功皇后仲哀天皇とも)・武諸隅命。孝元天皇・内色姫命を配祀する。

明治41年(1908年)9月、もと小字シワに鎮座していた下記各社を合祀、大正5年(1916年)12月には神饌幣帛料供進社に指定された。

・高良神社(武内宿禰
・水無月神社(月読命
・若宮神社(卯の御神)
・御霊神社(応神天皇)

例祭は4月15日。孝元天皇と内色姫命の両木造神像が伝わる。藤原時代の作とされる。また、平安時代末期の康治2年(1143年)の作とされる木造の薬師像がある。

なお、式内社「矢田神社」の論社は他に、海士の式内同名神社がある。また、丹波郡にも同名の式内社があり、市内峰山町矢田の式内同名神社に比定されている。

与謝郡にはさらに式内社「矢田部神社」があり、与謝野町石川の矢田部神社が比定されている。また、与謝郡の式内社に、物部神社がある。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、一族・子孫繁栄
矢田八幡神社 京都府京丹後市久美浜町佐野
【関連記事】
京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧