弓月君・天日槍、河童・蚩尤、新羅への恐怖、兵庫の鎮守
式内の兵主神社(ひょうずじんじゃ)とは、『延喜式』巻9・10神名帳に記載された、何らかの形で兵主神社が社名につく神社の総称である。『延喜式』神名帳には19社記載され、現時点までにそれらのいくつかは複数の論社がある。
最東端は愛知県豊田市、最西端は長崎県壱岐市、それ以外はすべて近畿地方に集中している。大和国2社、和泉国1社、三河国1社、近江国2社、丹波国1社、但馬国7社、因幡国2社、播磨国2社、壱岐国1社。名神大社も3社ある。
但馬国の突出ぶり、現在の兵庫県で考えると実に10社と半分以上になる。兵主神とは何なのか、河童、ひょうすべ、蚩尤など諸説ある(詳細)。
[式内]城上郡 穴師坐兵主神社(名神大社)
[住所]奈良県桜井市穴師1065
[電話]0744-42-6420
[式内]城上郡 穴師大兵主神社
[住所]奈良県桜井市穴師1065
[電話]0744-42-6420
[式内]和泉郡 兵主神社
[住所]大阪府岸和田市西之内町1-1
[電話]072-443-1097
[式内]賀茂郡 兵主神社
[住所]愛知県豊田市荒井町松島299-1
[電話]-
[式内]野洲郡 兵主神社(名神大社)
[住所]滋賀県野洲市五条566
[電話]077-589-2072
[式内]伊香郡 兵主神社
[住所]滋賀県長浜市高月町横山440
[電話]-
[式内]伊香郡 兵主神社
[住所]滋賀県長浜市湖北高田町203
[電話]-
[式内]氷上郡 兵主神社
[住所]兵庫県丹波市春日町黒井2956
[電話]0795-74-0392
[式内]朝来郡 兵主神社
[住所]兵庫県朝来市山東町柿坪972
[電話]079-676-2465 - 粟鹿神社
[式内]朝来郡 兵主神社
[住所]兵庫県兵庫県朝来市山東町溝黒537
[電話]079-676-2465 - 粟鹿神社
[式内]養父郡 兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市日高町浅倉202
[電話]0796-42-0514
[式内]養父郡 更杵村大兵主神社
[住所]兵庫県朝来市和田山町寺内
[電話]-
[式内]養父郡 更杵村大兵主神社
[住所]兵庫県朝来市和田山町林垣1285
[電話]079-672-3610 - 赤渕神社
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市出石町中村809
[電話]0796-52-3837
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市但東町薬王寺848
[電話]0796-55-0302
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市三宅47
[電話]0796-27-0013 - 中嶋神社
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市奥野1
[電話]0796-27-0013 - 中嶋神社
[式内]気多郡 久刀寸兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市日高町久斗491
[電話]0796-42-0514
[式内]城崎郡 兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市赤石1861-3
[電話]0796-22-4267 - 金刀比羅神社
[式内]城崎郡 兵主神社二座
[住所]兵庫県豊岡市山本100-1
[電話]0796-22-4267 - 金刀比羅神社
[式内]巨濃郡 佐彌乃兵主神社
[住所]鳥取県岩美郡岩美町河崎211
[電話]-
[式内]巨濃郡 許野乃兵主神社
[住所]鳥取県岩美郡岩美町浦富686
[電話]-
[式内]餝磨郡 射楯兵主神社二座
[住所]兵庫県姫路市総社本町190
[電話]079-224-1111
[式内]餝磨郡 射楯兵主神社二座
[住所]兵庫県姫路市辻井4-4-3
[電話]079-239-6921 - 英賀神社
[式内]餝磨郡 射楯兵主神社二座
[住所]兵庫県姫路市広嶺山52
[電話]079-288-4777
[式内]多可郡 兵主神社
[住所]兵庫県西脇市黒田庄町岡372-2
[電話]0795-28-2284
[式内]壱岐郡 兵主神社(名神大社)
[住所]長崎県壱岐市勝本町本宮西触1437
[電話]-
[式内]壱岐郡 兵主神社(名神大社)
[住所]長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1616
[電話]-
異国の神で、弓月君(ゆずきのきみ)が招来した神と考えられている。したがって、兵主神社を祀るところには弓月君系の帰化人の存在が予想される。
但馬には新羅系の天日槍命(あめのひぼこ)のほかに、弓月君系の帰化人も多くいたものと考えられる。
また、天日槍が一時住んでいたといわれる近江にも兵主神社は多く、天日槍と兵主神社には何らかの関係があるものとも推論される。
そして、天日槍との関係から、弓月君系と同様、やはり兵主神はもとは外来神とみる説が展開される。河童、ひょうすべとのつながりはこの点からなのだろう。
また一説に、大国主神は、またの名を八千矛神(やちほこのかみ)といい、葦原の中津国を平定するに当たり、広い矛をもって邪神を誅し、治功をたてた神。
弓矢を司る武神として崇敬されてきた。このような日本の武神である大国主神や素盞鳴尊を兵主神として奉斎したものともされる。
神功皇后の三韓征伐に代表されるように、古代においては、日本から半島に攻め入るケースが多かったとされる。
逆に、大化元年(645年)、丹後・白糸の浜に新羅の賊が来襲、表米宿禰命がこれを討伐した。但馬国には赤淵神社や表米神社がある。
第38代天智天皇2年(663年)、白村江の戦いで大敗して以降、日本の対外主戦論は影をひそめ、新羅との友好や防御に注力することになる。
ただし、第41代持統天皇の頃以降、但馬国を中心に、盛んに軍団が形成され、そのための兵器の保管庫である兵庫が作られ、その鎮守としても兵主神社は祀られた。
帰化の受け入れや、使節の派遣など、奈良時代を通じてしばらくは平穏だったが、平安時代初期の弘仁4年(813年)、弘仁の新羅の賊と呼ばれる事件が起こった。
また、弘仁11年(820年)2月13日には、遠江・駿河両国に移配した新羅人在留民700人が党をなして反乱を起こした。
さらに貞観8年(866年)には、山春永らの対馬侵攻計画が発覚。そして、貞観11年(869年)、新羅海賊による博多の襲撃、いわゆる貞観の入寇へとつながる。
貞観の入寇は『延喜式』編纂のおよそ50年前となる。これら新羅に対する対策や恐怖が、渡来神と考えられ、兵器の神である兵主神の大々的奉斎につながった可能性がある。
兵主神の式内19社は、一部の例外を除き、その多くが中世から近世にかけて衰退した。もちろん戦乱の影響も大きいだろうが、渡来・兵器の神としての穢れや死穢性が避けられたのかもしれない。
さらに同じ時期、逆に盛り上がってきた、八幡・稲荷・天神・祇園など、民衆と密接につながりのある信仰とは違い、そもそもが民衆との接点が少ない性質があった、などの点が要因として挙げられるかもしれない。
ともあれ、極めて奥の深い神であり、信仰であることは間違いない。これも日本の歴史の足跡の一つなのである。
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 『延喜式』と神社
最東端は愛知県豊田市、最西端は長崎県壱岐市、それ以外はすべて近畿地方に集中している。大和国2社、和泉国1社、三河国1社、近江国2社、丹波国1社、但馬国7社、因幡国2社、播磨国2社、壱岐国1社。名神大社も3社ある。
但馬国の突出ぶり、現在の兵庫県で考えると実に10社と半分以上になる。兵主神とは何なのか、河童、ひょうすべ、蚩尤など諸説ある(詳細)。
大和国 穴師坐兵主神社
[式内]城上郡 穴師坐兵主神社(名神大社)
[住所]奈良県桜井市穴師1065
[電話]0744-42-6420
大和国 穴師坐兵主神社
[式内]城上郡 穴師大兵主神社
[住所]奈良県桜井市穴師1065
[電話]0744-42-6420
和泉国 兵主神社
[式内]和泉郡 兵主神社
[住所]大阪府岸和田市西之内町1-1
[電話]072-443-1097
三河国 兵主神社
[式内]賀茂郡 兵主神社
[住所]愛知県豊田市荒井町松島299-1
[電話]-
近江国 兵主大社
[式内]野洲郡 兵主神社(名神大社)
[住所]滋賀県野洲市五条566
[電話]077-589-2072
近江国 兵主神社
[式内]伊香郡 兵主神社
[住所]滋賀県長浜市高月町横山440
[電話]-
近江国 兵主神社
[式内]伊香郡 兵主神社
[住所]滋賀県長浜市湖北高田町203
[電話]-
丹波国 兵主神社
[式内]氷上郡 兵主神社
[住所]兵庫県丹波市春日町黒井2956
[電話]0795-74-0392
但馬国 兵主神社
[式内]朝来郡 兵主神社
[住所]兵庫県朝来市山東町柿坪972
[電話]079-676-2465 - 粟鹿神社
但馬国 八幡社
[式内]朝来郡 兵主神社
[住所]兵庫県兵庫県朝来市山東町溝黒537
[電話]079-676-2465 - 粟鹿神社
但馬国 兵主神社
[式内]養父郡 兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市日高町浅倉202
[電話]0796-42-0514
但馬国 更杵神社
[式内]養父郡 更杵村大兵主神社
[住所]兵庫県朝来市和田山町寺内
[電話]-
但馬国 十六柱神社
[式内]養父郡 更杵村大兵主神社
[住所]兵庫県朝来市和田山町林垣1285
[電話]079-672-3610 - 赤渕神社
但馬国 伊福部神社
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市出石町中村809
[電話]0796-52-3837
但馬国 大生部兵主神社
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市但東町薬王寺848
[電話]0796-55-0302
但馬国 穴見郷戸主大生部兵主神社
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市三宅47
[電話]0796-27-0013 - 中嶋神社
但馬国 大生部兵主神社
[式内]出石郡 大生部兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市奥野1
[電話]0796-27-0013 - 中嶋神社
但馬国 久刀寸兵主神社
[式内]気多郡 久刀寸兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市日高町久斗491
[電話]0796-42-0514
但馬国 兵主神社
[式内]城崎郡 兵主神社
[住所]兵庫県豊岡市赤石1861-3
[電話]0796-22-4267 - 金刀比羅神社
但馬国 兵主神社
[式内]城崎郡 兵主神社二座
[住所]兵庫県豊岡市山本100-1
[電話]0796-22-4267 - 金刀比羅神社
因幡国 佐弥乃兵主神社
[式内]巨濃郡 佐彌乃兵主神社
[住所]鳥取県岩美郡岩美町河崎211
[電話]-
因幡国 許野乃兵主神社
[式内]巨濃郡 許野乃兵主神社
[住所]鳥取県岩美郡岩美町浦富686
[電話]-
播磨国 射楯兵主神社
[式内]餝磨郡 射楯兵主神社二座
[住所]兵庫県姫路市総社本町190
[電話]079-224-1111
播磨国 行矢射楯兵主神社
[式内]餝磨郡 射楯兵主神社二座
[住所]兵庫県姫路市辻井4-4-3
[電話]079-239-6921 - 英賀神社
播磨国 廣峯神社
[式内]餝磨郡 射楯兵主神社二座
[住所]兵庫県姫路市広嶺山52
[電話]079-288-4777
播磨国 兵主神社
[式内]多可郡 兵主神社
[住所]兵庫県西脇市黒田庄町岡372-2
[電話]0795-28-2284
壱岐国 本宮八幡神社
[式内]壱岐郡 兵主神社(名神大社)
[住所]長崎県壱岐市勝本町本宮西触1437
[電話]-
壱岐国 兵主神社
[式内]壱岐郡 兵主神社(名神大社)
[住所]長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1616
[電話]-
兵主神について
兵主神は、『史記封禅書』に見られる、「天主・地主・兵主・陽主・陰主・月主・日主・四時主」の一つとされている武神。中国の悪神で、強力な武神である蚩尤に相当するとも。異国の神で、弓月君(ゆずきのきみ)が招来した神と考えられている。したがって、兵主神社を祀るところには弓月君系の帰化人の存在が予想される。
但馬には新羅系の天日槍命(あめのひぼこ)のほかに、弓月君系の帰化人も多くいたものと考えられる。
また、天日槍が一時住んでいたといわれる近江にも兵主神社は多く、天日槍と兵主神社には何らかの関係があるものとも推論される。
そして、天日槍との関係から、弓月君系と同様、やはり兵主神はもとは外来神とみる説が展開される。河童、ひょうすべとのつながりはこの点からなのだろう。
また一説に、大国主神は、またの名を八千矛神(やちほこのかみ)といい、葦原の中津国を平定するに当たり、広い矛をもって邪神を誅し、治功をたてた神。
弓矢を司る武神として崇敬されてきた。このような日本の武神である大国主神や素盞鳴尊を兵主神として奉斎したものともされる。
神功皇后の三韓征伐に代表されるように、古代においては、日本から半島に攻め入るケースが多かったとされる。
逆に、大化元年(645年)、丹後・白糸の浜に新羅の賊が来襲、表米宿禰命がこれを討伐した。但馬国には赤淵神社や表米神社がある。
第38代天智天皇2年(663年)、白村江の戦いで大敗して以降、日本の対外主戦論は影をひそめ、新羅との友好や防御に注力することになる。
ただし、第41代持統天皇の頃以降、但馬国を中心に、盛んに軍団が形成され、そのための兵器の保管庫である兵庫が作られ、その鎮守としても兵主神社は祀られた。
帰化の受け入れや、使節の派遣など、奈良時代を通じてしばらくは平穏だったが、平安時代初期の弘仁4年(813年)、弘仁の新羅の賊と呼ばれる事件が起こった。
また、弘仁11年(820年)2月13日には、遠江・駿河両国に移配した新羅人在留民700人が党をなして反乱を起こした。
さらに貞観8年(866年)には、山春永らの対馬侵攻計画が発覚。そして、貞観11年(869年)、新羅海賊による博多の襲撃、いわゆる貞観の入寇へとつながる。
貞観の入寇は『延喜式』編纂のおよそ50年前となる。これら新羅に対する対策や恐怖が、渡来神と考えられ、兵器の神である兵主神の大々的奉斎につながった可能性がある。
兵主神の式内19社は、一部の例外を除き、その多くが中世から近世にかけて衰退した。もちろん戦乱の影響も大きいだろうが、渡来・兵器の神としての穢れや死穢性が避けられたのかもしれない。
さらに同じ時期、逆に盛り上がってきた、八幡・稲荷・天神・祇園など、民衆と密接につながりのある信仰とは違い、そもそもが民衆との接点が少ない性質があった、などの点が要因として挙げられるかもしれない。
ともあれ、極めて奥の深い神であり、信仰であることは間違いない。これも日本の歴史の足跡の一つなのである。
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 『延喜式』と神社
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