「天空の城」竹田城のある虎臥山東麓、全国二社しかない相撲桟敷
[住所]兵庫県朝来市和田山町竹田857
[電話]-
表米神社(ひょうまいじんじゃ)は、兵庫県朝来市和田山町竹田にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
「天空の城」として知られる竹田城のある虎臥山東麓。播但線の竹田駅の南西約500メートル、徒歩1-2分。当社参道は、竹田城跡への主要徒歩ルートの一つ。
創建年代は不詳。表米宿禰命(日下部表米)を祀る。表米は、丹後国の白井の浜に来襲した新羅の賊を討伐した武人とされる。
赤淵神社『神社略記』によれば、大化元年(645年)、表米が丹後・白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した。
大海龍王がアワビの大群を用いて沈没しかけた船を救ったと伝わる。赤淵神社は日下部氏が奉祭した社。
この事件は、第38代天智天皇2年(663年)の白村江の戦いや、天智天皇7年(668年)の新羅の僧沙門道行による草薙剣盗難事件にもつながっていく。
江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)、現在地に遷座したと考えられている。旧地は不詳。本殿は三間社流造で千鳥破風を有している。
表米が格技を好んだとされるという言い伝えに基づき、当社境内の参道横の小広場に相撲桟敷が設けられているのが特徴。
この相撲桟敷は半円形石積段型桟敷に分類され、同形式の相撲桟敷は、当社の他には山口県長門市の赤崎神社にしか存在していないとされる。
また、桟敷から見て、土俵を挟んだ向正面側には舞台もあり、能や歌舞伎なども演じられた可能性があると考えられている。
この相撲桟敷は県の重要有形民俗文化財に指定されている。なお、江戸末期と明治年間の座席割図も各1枚残っており、当時の使用の実態が分かる。
【ご利益】
身体壮健、技芸・スポーツ向上、厄災除け

【関連記事】
・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
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表米神社(ひょうまいじんじゃ)は、兵庫県朝来市和田山町竹田にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
「天空の城」として知られる竹田城のある虎臥山東麓。播但線の竹田駅の南西約500メートル、徒歩1-2分。当社参道は、竹田城跡への主要徒歩ルートの一つ。
創建年代は不詳。表米宿禰命(日下部表米)を祀る。表米は、丹後国の白井の浜に来襲した新羅の賊を討伐した武人とされる。
赤淵神社『神社略記』によれば、大化元年(645年)、表米が丹後・白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した。
大海龍王がアワビの大群を用いて沈没しかけた船を救ったと伝わる。赤淵神社は日下部氏が奉祭した社。
この事件は、第38代天智天皇2年(663年)の白村江の戦いや、天智天皇7年(668年)の新羅の僧沙門道行による草薙剣盗難事件にもつながっていく。
江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)、現在地に遷座したと考えられている。旧地は不詳。本殿は三間社流造で千鳥破風を有している。
表米が格技を好んだとされるという言い伝えに基づき、当社境内の参道横の小広場に相撲桟敷が設けられているのが特徴。
この相撲桟敷は半円形石積段型桟敷に分類され、同形式の相撲桟敷は、当社の他には山口県長門市の赤崎神社にしか存在していないとされる。
また、桟敷から見て、土俵を挟んだ向正面側には舞台もあり、能や歌舞伎なども演じられた可能性があると考えられている。
この相撲桟敷は県の重要有形民俗文化財に指定されている。なお、江戸末期と明治年間の座席割図も各1枚残っており、当時の使用の実態が分かる。
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