但馬国最初の兵主神社の指摘、旧地は溝黒の八幡社の地か
兵主神社 兵庫県朝来市山東町柿坪972
[住所]兵庫県朝来市山東町柿坪972
[電話]079-676-2465 - 粟鹿神社

兵主神社(ひょうずじんじゃ)は、兵庫県朝来市山東町柿坪にある神社。東方には粟鹿神社が鎮座する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「兵主神社(但馬国・朝来郡)」に比定される式内社(小社)の論社。兵主神社の一つ。近代社格では村社。

山陰本線の梁瀬駅の南約3.1キロ、播但線の竹田駅の東約6キロ。創祀年代は不詳。式内社「兵主神社」について、『国司文書 但馬神社系譜伝』には下記の記載がある。
孝徳天皇の大化三年(647年)秋三月、朝来軍団の主帳である朝来直知嘉麿は、兵主神社を兵庫の側に祀り、兵庫守護の霊神(素戔嗚命)となし、かつ祖である天砺目命を下座に合祀した。
『国司文書 但馬郷名記抄』によれば、朝来村は柿坪で、朝来直在住の地。朝来直は、丹波国、今は丹後国加佐郡朝来の人、だという。

式内社「兵主神社」の論社は他に、溝黒(森)の八幡社がある。その八幡社の地が当社の旧地だという指摘もある。

また、『国司文書 但馬神社系譜伝』にあるように、式内社「兵主神社」は上座と下座に分かれている。

そこで、当社が上座(上社)、小字名が宮馬場で、軍団の乗馬練習場だった可能性のある八幡社が下座(下社)とする向きもある。

『式内社調査報告』では、「(八幡社)社地の方が相応しい」とのみあり、根拠も何もないが、八幡社というより、溝黒が問題になっているようだ。

県内には兵主神社が多く、20社近く存在する。『延喜式』神名帳には19社が記載され、そのうち但馬国のものが実に7社を占める。

『国司文書 但馬故事記』によれば、その但馬で最初の兵主神社は、朝来郡兵主神社、つまり当社の可能性がある。

奈良時代の天平9年(737)『但馬國正税帳』にある「朝来郡押坂神」の押坂神が当社とも考えられている。

唐突だが、江戸時代前期の寛永14年(1633)の創立とも。今までの話は何だったんだ、という感じだが、この年、溝黒の八幡社の地から現在地に遷座したともされる。

御祭神は大己貴神。例祭は10月17日。境内社が一宇ある。参道の社号標には「式内 兵主大明神」とある。式内と大明神の組み合わせは異例か。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、病気平癒
兵主神社 兵庫県朝来市山東町柿坪
【関連記事】
式内の兵主神社とは? - 弓月君・天日槍、河童・蚩尤、新羅への恐怖、兵庫の鎮守
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧