奈良初期に養父郡の兵庫が移されて奉斎とも、江戸期の造営記録
[住所]兵庫県豊岡市日高町浅倉202
[電話]0796-42-0514

兵主神社(ひょうずじんじゃ)は、兵庫県豊岡市日高町浅倉にある神社。山陰本線の江原駅の南南西約1.9キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「兵主神社(但馬国・養父郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。浅倉兵主神社とも。

山陰本線の線路ほど近く、円山川西岸。北には支流の稲葉川が流れる。国道312号線の浅倉西交差点を東進して線路を越える。

創祀年代は不詳。『国司文書 但馬故事記』によれば、飛鳥時代、第42代持統天皇2年(688年)秋7月、養父郡の更杵村に兵庫が設けられた。

それによれば、三宅宿祢神床陣法博士が大生部了(おおふのさとる)を率い、一国の壮丁4分の1を招集し、武事を講習したという。

その地に、兵庫を設け、大兵主神を祀った。これが更杵村大兵主神社である。式内社「更杵村大兵主神社」の論社は朝来市和田山町の寺内の更杵神社と林垣の十六柱神社がある。

また、第44代元正天皇の御宇、奈良時代初期の養老3年(719年)冬10月、機能を拡張し、養父郡の兵庫を浅間邑に遷し、健児所(こんでいしょ)を置いた。

伊久刀首武雄は、兵主神を浅倉に祀り、その祖雷大臣命を赤坂丘に祀った。この中で浅倉に祀られたのが当社であり、この際、当社では素戔嗚命が祀られたという。

ちなみに、赤坂丘に祀られたのが伊久刀神社。さらに、第45代聖武天皇の御宇、天平2年(730年)春3月、郡の大領で、正八位上の山ノ公楢男が五十日帯彦命を祀ったという。

現在の御祭神は大己貴命。資料によっては八千矛神と記されるが、これは大己貴命と同神。例祭は10月9日。

棟札によれば、江戸時代前期の寛永9年(1632年)、延宝6年(1678年)、中期の享保14年(1729年)に本殿を造立し、後期の文化12年(1815年)に覆屋を普請した。

境内社に水無月神社がある。社殿右手の赤い鳥居の祠には、瀬織津姫命・速秋津姫命・氣吹戸主命・速佐須良姫命の祓いの四神が祀られている。

当社の石垣の中には「一石六地蔵」が納まっている。社前の道路拡幅工事の際、偶然発見されたもの。室町時代の長禄4年(1460年)の建立だという。

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兵主神社 兵庫県豊岡市日高町浅倉
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