白鳳期の創祀、天神縁起や金比羅社、神鏡、太陽信仰の紋
日置神社 長野県東筑摩郡生坂村北陸郷8708
[住所]長野県東筑摩郡生坂村北陸郷8708
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日置神社(ひおきじんじゃ)は、長野県東筑摩郡生坂村北陸郷、日岐にある神社。篠ノ井線の明科駅の北7.8キロほど。国道19号線を北進。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「日置神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

飛鳥時代の白鳳7年(667年)6月の創祀と伝わる。第15代応神天皇の皇子である大山奉行尊の子孫である日置部真木己利が日岐郷に来て祭祀したという。

寛弘己巳年6月2日に再興した、というが、平安時代中期の寛弘年間(1004年-1013年)に己巳年はない。

戦国時代の明応元年(1492年)、丸山肥後入道平盛高が日岐六郷を受領した時、日岐六郷の産土神として祝詞殿を建立したという。

室町時代末の作という直径9センチの神鏡が伝わる。安土桃山時代の文禄4年(1595年)、松本城主石川康長が当社保護のために出した禁制が現存する。

日岐盛貞は江戸時代前期の寛永13年(1636年)に天神縁起を、寛永15年(1638年)には画像を奉納。画像には裏書があり、狩野元信筆という。

御祭神は、彦火火出見尊天照皇大神菅原道真。先の天神縁起をはじめ、現在は天神天満宮の色彩が強い。

しかし、当社境内の神庫には、太陽から陽光(日足)が上に延び、月か皿か船のようなものの上に乗って、その下は水が流れている、珍しい形状の紋がある。

式内社にも「日置神社」は多いが、日置氏による太陽祭祀の遺跡だったという説が強く、当社のこの紋はそのことが確認できる珍しいケースともされる。

入口には木造の両部鳥居が建っており、右側には絵馬殿、左側には境内社が収められた長細い建物がある。

拝殿は規模の小さな切妻造りで、背後には本殿を収めた覆屋が建てられている。境内社に金比羅社がある。

社地の西側に置かれた桁裄の長い建物の中。その社殿は流造、向拝付き、こけら葺き(うすくけずった板屋根)、彫刻が優れる。幕末の嘉永8年・安政元年(1855年)の建立。

その彫刻は、穂高町岩原の立川流の宮大工浅川豊八の作と思われる。間口0.7メートル、奥行1.1メートル。他に宝物として、あひる文字の巻物3巻や天神像がある。

当社叢やケヤキは村の天然記念物に指定されている。なお、式内社「日置神社」の論社は他に、長野市信州新町の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
厄災除け、開運招福、学業・受験合格
日置神社 長野県東筑摩郡生坂村北陸郷
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