平安前期に石清水勧請、太神楽、4年ごと大祭は稀有な賑わい
井田神社 兵庫県豊岡市日高町鶴岡122
[住所]兵庫県豊岡市日高町鶴岡122
[電話]0796-42-0514

井田神社(いだじんじゃ/いたじんじゃ)は、兵庫県豊岡市日高町鶴岡にある神社。山陰本線の江原駅の北東2.5キロ、円山川沿い、東岸。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「井田神社(但馬国・気多郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。もとは倉稲魂命、あるいは大冝都比賣命を祀っていたが、平安時代前期の嘉祥元年(848年)、悪疫流行により、山城国石清水八幡宮を勧請したという。

誉田別命気長足姫命を祀るようになると、八幡宮と呼ばれるようになり、井田神社八幡宮などとも称された。中世には社領を有していたという。

鎌倉時代末期の元亨元年(1321年)、室町時代の永享9年(1437年)、安土桃山時代の天正12年(1584年)、社殿造営の記録が残る。

江戸時代中期の宝永2年(1705年)、本殿が建立された。伊福八幡社とも呼ばれた。もとは山中字宮ノ谷の地に鎮座していたとも。

明治3年(1870年)、御神霊を改めて勧請、明治6年(1873年)10月には村社に列し、明治15年(1882年)、もとから関係の深かった楯縫神社を合祀した。

楯縫神社はその後、昭和22年(1947年)、現在地に分離された。当社の御祭神について、伊多首の祖神、鏡造の祖である石凝姥命と考える説がある。

例祭は10月体育の日の前の日曜日。太神楽と子どもだんじりが奉納される。4年ごとのうるう年、大祭が行われる。

昔の大祭では、屋台に乗る囃子や三十石船で円山川を渡る雅やかな船渡御、勇壮な馬の早駆けなども行われ、一つの部落の祭としては稀有の賑やかさだったという。

現在は陸渡御のみとなり、旗持ちと大太鼓を先導に神輿が練り歩き、それに続き屋台、囃子、大神楽、子供の手踊り、子供だんじりなどが随行する。

太神楽は午前中に氏子を廻り、「浄めの舞」を舞い、午後2時過ぎに当社本殿前で「幣の舞」「天狗の舞」「祇園囃子」「剣の舞」「わくわく」「豆ひろい」「乱獅子」を舞う。

楯縫神社とともに伝わっているもので、起源は、江戸時代後期の文化年間(1804年-1818年)まで遡れるという。

【ご利益】
五穀豊穣、悪疫退散、無病息災、厄災除け
井田神社 兵庫県豊岡市日高町鶴岡
【関連記事】
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧