鋳物師の地、旧地には枯れない井戸、春日神社と同一境内
[住所]岐阜県養老郡養老町金屋237
[電話]-
御井神社(みいじんじゃ)は、岐阜県養老郡養老町金屋にある神社。養老線の美濃高田駅の北西2キロ、名神高速道路の手前。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御井神社(美濃国・多芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
現在、境内は春日神社と同一となっている。境内は同一だが、鳥居は当社と春日神社は別々になっている。社殿に向かって右側が当社である。
創祀年代は不詳。『美濃国神名帳』に「従五位下 御井神」とある。もとは現在地よりやや東にあり、境内には枯れることのない井戸があったという。
鎌倉時代の正応年間(1288年-1293年)、洪水で大きな被害を受けた。再建されたが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、戦乱で焼失し、衰退した。
江戸時代前期の正保年間(1645年-1648年)、洪水の後、近くの神明神社の地に遷座、神明神社の境内社となった。古社地には石標が残るという。
明治元年(1868年)、当社が主社、神明神社が境内社に変更され、明治6年(1873年)には郷社に列した。明治14年(1881年)、春日神社の境内である現在地に遷座した。
御祭神は御井神。例祭は9月8日とも4月10日とも。末社として、上記の神明神社の他、御鍬神社もあるという。
御鍬神社は江戸時代中期の明和4年(1767年)の創建。ただし、現在境内にはそれらしい社殿や祠はない。
当地は室町時代から江戸時代初期にかけて、鋳物師が繁栄し、当代美濃国の梵鐘寺の鋳造を独占していたという。
現在、美濃市大矢田神社の鐘、谷汲山華厳寺の鰐口などの他、十数点の作品が残っている。金屋という地名もその名残りであるといわれる。
なお、美濃国には各務郡にも同名の式内社があり、各務原市三井町に当社と同名の神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、産業振興、厄災除け

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・岐阜県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岐阜県に鎮座している神社の一覧
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御井神社(みいじんじゃ)は、岐阜県養老郡養老町金屋にある神社。養老線の美濃高田駅の北西2キロ、名神高速道路の手前。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御井神社(美濃国・多芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
現在、境内は春日神社と同一となっている。境内は同一だが、鳥居は当社と春日神社は別々になっている。社殿に向かって右側が当社である。
創祀年代は不詳。『美濃国神名帳』に「従五位下 御井神」とある。もとは現在地よりやや東にあり、境内には枯れることのない井戸があったという。
鎌倉時代の正応年間(1288年-1293年)、洪水で大きな被害を受けた。再建されたが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、戦乱で焼失し、衰退した。
江戸時代前期の正保年間(1645年-1648年)、洪水の後、近くの神明神社の地に遷座、神明神社の境内社となった。古社地には石標が残るという。
明治元年(1868年)、当社が主社、神明神社が境内社に変更され、明治6年(1873年)には郷社に列した。明治14年(1881年)、春日神社の境内である現在地に遷座した。
御祭神は御井神。例祭は9月8日とも4月10日とも。末社として、上記の神明神社の他、御鍬神社もあるという。
御鍬神社は江戸時代中期の明和4年(1767年)の創建。ただし、現在境内にはそれらしい社殿や祠はない。
当地は室町時代から江戸時代初期にかけて、鋳物師が繁栄し、当代美濃国の梵鐘寺の鋳造を独占していたという。
現在、美濃市大矢田神社の鐘、谷汲山華厳寺の鰐口などの他、十数点の作品が残っている。金屋という地名もその名残りであるといわれる。
なお、美濃国には各務郡にも同名の式内社があり、各務原市三井町に当社と同名の神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、産業振興、厄災除け

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