もとは三井山山頂、現在は奥宮、市内の水源地に龍神を祀る
[住所]岐阜県各務原市三井町5-8
[電話]058-383-8397
御井神社(みいじんじゃ)は、岐阜県各務原市三井町、旧蘇原古市場町にある神社。木曽川の北、高山本線の那加駅、名鉄各務原線の新那加駅の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御井神社(美濃国・各務郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。市内の金弊社五社のうちの一社。
新境川の西岸。国道21号線から県道114号線を南下する。114号線沿い。周辺は水が豊富であり、各務原市の水源地もこの近くである。
創祀年代は不詳。もとは現在地より東南東約900メートルの三井山山頂に本殿が鎮座した。山腹には、三井山古墳(御井神社境内古墳)がある。
社伝によれば、第14代仲哀天皇9年には山に豪壮な社殿がそびえ、神田3町歩あまりが天皇より寄進されたという。
かつては三井山自体が境内だった。近くに木曽川が流れており、軍事上の要衝。戦国時代、土岐氏の土岐弥一郎(三井弥一郎)により、三井山山頂に三井城が築城された。
この際、天文元年(1532年)、三井山の麓の現在地に移転した。ただし、現在も三井山には磐座の祭祀遺跡があり、多くの出土品が発見されている。
それらの出土品は現在、市の文化財に指定されている。また、遷座の際、上中屋に分祀され、天神社と呼ばれた。現在の市内上中屋町の天神神社である。
天文17年(1548年)、三井城は土岐氏と守護代斎藤氏との内紛の最中、尾張国の織田信秀に攻められ落城し、そのまま廃城となった。
その後、当社から分祀し、三井山山頂に奥之宮が創建された。江戸時代中期の元文3年(1738年)、正一位に進んだ。明治6年(1873年)、郷社に列した。
御祭神は御井神。御井大神とも。龍神ともされる。もとは三井村の産土神だったが、現在は稲羽地区の産土神とされている。
現在までに津嶋神・保食神が配祀されている。例祭は10月第3土・日曜日。毎年4月初めの日曜日に「酒占神事(さかうらしんじ)」が行われる。
この神事は、長さ20センチほどの青竹の節に小さな穴を明け、そこに神酒を注ぎ、紙で穴を塞ぎ、祓いの後に池に投げ込まれる。
竹筒が沈めば、その年は雨が降り豊作、逆に浮けば、日照りで凶作になるとされている。
境内には市の文化財に指定されている狛犬一対がある。また、三井山山麓の御井池の辺に、当社の別宮として、御井池龍神神社が鎮座する。
この御井池龍神神社は昭和4年(1929年)、新境川の開削工事の際、一人の工事関係者がお告げを聞き、奉斎したのが起源。
なお、美濃国には多芸郡にも同名の式内社があり、養老町金屋に当社と同名の神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、健康長寿

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御井神社(みいじんじゃ)は、岐阜県各務原市三井町、旧蘇原古市場町にある神社。木曽川の北、高山本線の那加駅、名鉄各務原線の新那加駅の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御井神社(美濃国・各務郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。市内の金弊社五社のうちの一社。
新境川の西岸。国道21号線から県道114号線を南下する。114号線沿い。周辺は水が豊富であり、各務原市の水源地もこの近くである。
創祀年代は不詳。もとは現在地より東南東約900メートルの三井山山頂に本殿が鎮座した。山腹には、三井山古墳(御井神社境内古墳)がある。
社伝によれば、第14代仲哀天皇9年には山に豪壮な社殿がそびえ、神田3町歩あまりが天皇より寄進されたという。
かつては三井山自体が境内だった。近くに木曽川が流れており、軍事上の要衝。戦国時代、土岐氏の土岐弥一郎(三井弥一郎)により、三井山山頂に三井城が築城された。
この際、天文元年(1532年)、三井山の麓の現在地に移転した。ただし、現在も三井山には磐座の祭祀遺跡があり、多くの出土品が発見されている。
それらの出土品は現在、市の文化財に指定されている。また、遷座の際、上中屋に分祀され、天神社と呼ばれた。現在の市内上中屋町の天神神社である。
天文17年(1548年)、三井城は土岐氏と守護代斎藤氏との内紛の最中、尾張国の織田信秀に攻められ落城し、そのまま廃城となった。
その後、当社から分祀し、三井山山頂に奥之宮が創建された。江戸時代中期の元文3年(1738年)、正一位に進んだ。明治6年(1873年)、郷社に列した。
御祭神は御井神。御井大神とも。龍神ともされる。もとは三井村の産土神だったが、現在は稲羽地区の産土神とされている。
現在までに津嶋神・保食神が配祀されている。例祭は10月第3土・日曜日。毎年4月初めの日曜日に「酒占神事(さかうらしんじ)」が行われる。
この神事は、長さ20センチほどの青竹の節に小さな穴を明け、そこに神酒を注ぎ、紙で穴を塞ぎ、祓いの後に池に投げ込まれる。
竹筒が沈めば、その年は雨が降り豊作、逆に浮けば、日照りで凶作になるとされている。
境内には市の文化財に指定されている狛犬一対がある。また、三井山山麓の御井池の辺に、当社の別宮として、御井池龍神神社が鎮座する。
この御井池龍神神社は昭和4年(1929年)、新境川の開削工事の際、一人の工事関係者がお告げを聞き、奉斎したのが起源。
なお、美濃国には多芸郡にも同名の式内社があり、養老町金屋に当社と同名の神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、健康長寿

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御井池龍神神社の起源をYoutube動画にまとめたので、是非ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=raLDaWW5z08&t=114s