田道間守が創祀、鎌倉後期に祇園勧請、江戸前期の本殿
賣布神社 京都府京丹後市網野町木津217
[住所]京都府京丹後市網野町木津217
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賣布神社(めふじんじゃ)は、京都府京丹後市網野町木津にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の夕日ヶ浦木津温泉駅の西、近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「売布神社(丹後国・竹野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

第12代景行天皇元年3月12日、田道間守が田神山に創祀したと伝わる。不老不死の香菓である橘を得て帰国した田道間守による報賽。

ただ、『古事記』では、帰国後、先帝である第11代垂仁天皇がすでに崩御、すぐに殉死したような記述ではある。その後、小字売布谷、現在地の境外官林の頂上に遷座したという。

鎌倉時代後期の正安2年(1300年)、当地の疫病封じのため、京都祗園社より素盞嗚尊を勧請した。室町時代の文安4年(1447年)8月、現在地に社殿を建立して遷座した。

近世以前は木津庄13ヶ村の氏神だった。江戸時代前期の寛文9年(1669年)、造営の棟札が現存する。これが現在の本殿のもと。

一間社流造、こけら葺建物で、身舎は内々陣・内陣・外陣の三室に分けられている。江戸時代中期の天明4年(1784年)、屋根葺替えの棟札1枚と銘文1枚がある。

丹後地方の17世紀後期の神社本殿は装飾化する傾向がみられるが、当社本殿は装飾的要素が少なく、木太い古風な建物で、装飾化が進む以前の様子が伺える。

棟札により造営年代・造営大工なども明らかで、丹後地方における17世紀中期の神社本殿として極めて貴重。府指定文化財。

明治6年(1873年)2月、村社に列し、明治43年(1910年)4月12日、神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は豊宇賀能咩命。往時は牛頭天王、現在も祇園さんと親しまれる素盞嗚命も併せて祀る。例祭は10月10日。子供御輿の巡行がある。

境内社に、稲荷神社(宇賀魂命火産霊命興津彦命興津姫命・外2柱不詳)、八幡神社(誉田別命久々能知之命五十猛命・其他不詳)などがある。

この八幡神社には、細谷社・大森社・大宮売社などが合祀されている。往時、当社全体を指して八幡宮と呼ばれていたこともあるが、この八幡神社が起源。

なお、丹後国には熊野郡にも同名の式内社がある。市内の久美浜町女布に当社および式内同名神社と、布杜神社がある。

また、摂津国 河辺郡にも賣布神社が、但馬国 気多郡にも賣布神社が、出雲国 意宇郡にも賣布神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、悪疫退散、無病息災、厄災除け
賣布神社 京都府京丹後市網野町木津
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