もと四神ヶ嶽の日留居大明神、源実朝の歌と遷座、千石船
蛭兒神社 京都府京丹後市久美浜町湊宮1662
[住所]京都府京丹後市久美浜町湊宮1662
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蛭兒神社(ひるこじんじゃ、蛭児神社)は、京都府京丹後市久美浜町湊宮にある神社。久美浜湾の出口近く、湊大橋の東側に鎮座する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「村岳神社(丹後国・熊野郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。もとは当社の西、大向にある標高173.5メートルの四神ヶ嶽(じじらがたけ)に奉斎されていた。

この四神ヶ嶽が日村岳であり、式内比定根拠になったようだ。他の論社に、奥馬地の式内同名神社がある。

通称は日間の宮(ひまのみや)。古来、日留居大明神と称された。鎌倉時代の建暦年間(1211年-1213年)、現在地に遷座した。

『玉葉集』にある鎌倉右大臣とも呼ばれた3代将軍源実朝の下記の歌は、当社の遷座をうたったものとも、実朝の命により遷座が行われたとも。
神風や 朝日の宮の 宮移し 影のどかなる 世にこそありかれ
その後、戦国時代の大永2年(1522年)8月に造営された記録が残る。また、当地は北前船の基地として往時大いに栄えたと言われている。

五軒家と称された回漕業者が住んでいたという。その後地域住民が、豊漁祈願と全盛時代の遺跡を祈念して、境内左手にその模型が奉納された。

これが江戸時代中期の寛政11年(1798年)に奉納された「千石船三社丸」である。当社古くから左右摂社があったようで、日御前神社と大川神社。三社丸の由来である。

御祭神は、蛭児神ではなく、火遠理命。その妻の豊玉比売命を配祀する。どちらにしろ恵比須(えびす)か。例祭は10月28日で例大祭。

摂社の大川神社の御祭神は五元五柱神で、保食神大己貴神少彦名命埴安姫神大土御祖神。日御碕神社の御祭神は天照皇大神素盞鳴尊

境内社に天満宮を合祀した稲荷神社がある。この稲荷社はもとは稲荷山にあり、小泉市太夫代官が奉祀し、崇敬した社で、明治維新の際、現地に移転したもの。

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蛭兒神社 京都府京丹後市久美浜町湊宮
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