丹波道主命が奉斎、太刀宮に合祀、10月5基の太鼓台が集結
[住所]京都府京丹後市久美浜町1314
[電話]0772-82-0029

神谷神社(かみたにじんじゃ)は、京都府京丹後市久美浜町にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の久美浜駅の北すぐ。神谷太刀宮とも。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「神谷神社(丹後国・熊野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

第10代崇神天皇10年9月、四道将軍の一人である丹波道主命が勅命を受け、山陰地方を巡視した時、武運長久を祈願して、久美浜の地に社地を定めて奉斎したのが起源。

その際祀ったのは、出雲国の八千矛神・天神玉命・天種子命だという。もとは、神谷小字明神谷に祀られていたが、中世の頃、戦乱にために社屋が破壊された。

そこで、現在地の太刀宮に合祀された。太刀宮は、丹波道主命の薨去の後、命を追慕して創建された神社であるという。

同じく熊野郡の式内社「村岳神社」の御祭神は、太刀宮の神の臣下で、当社の社地選定を命じられたという関係である。

ところが、村岳の神は良地を秘して別の地、つまり当社の旧地を上申した。このことが露見し、怒った太刀宮の神は剣を抜いて村岳の神を追った。

大石に隠れた村岳の神を斬ろうとしたが、誤って大石を断ち割った。怖れた村岳の神は、大根を下物として、和睦の宴を開き和解した。

よって、以後、太刀宮の当社の例祭には奥馬地部落より大根が奉納されているという。この剣が「国見の剣(くにみのつるぎ)」と呼ばれる。

太刀宮の神はこの真剣の御神霊を祀るともされ、この国見の剣が「久美浜」の地名の起こりともされる。ともかく、当社は神谷太刀宮神社と呼ばれるようになった。

江戸時代中期の天明元年(1781年)、再建の記録が残る。これが現在の本殿である。桁行2間、梁行2間(正面1間)、入母屋造、桧皮葺で妻入、1間の向拝を付ける。

入母屋造の妻入のつくりは、出雲地方に多い大社造の系統ともみることができ、四周に縁をまわすのも大社造の特徴。丹後半島ではこの形式は他に類例がない。

「太刀宮造」と呼ばれる独特な建造物で、府指定文化財。明治6年(1873年)、郷社に列し、明治40年(1907年)、神饌幣帛料供進社に指定された。

現在の主祭神は丹波道主命。八千矛神・天神玉命・天種子命を配祀する。天神玉命は三嶋縣主などの祖、天種子命は天児屋命の孫。

例祭は10月17日。10月第1土・日曜日に5基の太鼓台が当社に集結し、奉納行事として迫力ある技などを披露する。その後神輿を先頭にして町内を練り歩く。

境内社に、稲荷神社・猿田彦神社、相生之松・恵美寿神社などがある。境内西側の山にある巨岩、磐座は古代祭祀の跡と考えられている。

【ご利益】
厄災除け、方除け
神谷神社 京都府京丹後市久美浜町
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