旧府社の石崎大明神、5月に三河内曳山祭、「おーい」の儀式
[住所]京都府与謝郡与謝野町三河内1453
[電話]0772-42-6214
倭文神社(しとりじんじゃ/しどりじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町三河内にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の与謝野駅の南西約5キロ。出雲大社巌分祠の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「倭文神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
創祀年代は不詳。創建は奈良時代の和銅3年(710年)とも。御祭神は、天羽槌雄神(あめのはづちおのみこと)。
もとは三河内の筬村(おさむら)に鎮座していた。天録12年(981)12月、従二位に進んだ。鎌倉時代前期の貞応2年(1223年)、現在地に遷座したと伝えられる。
石崎大明神・石崎倭文大明神と称していたが、明治になり、現社号に改称。明治6年(1873年)2月、村社に列し、明治40年(1907年)3月には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和2年(1927年)、地震により損壊。その後復興が進められ、同時に境内地が整備され、末社・神門・社務所などが建てられた。昭和19年(1944年)11月、府社に昇格した。
本殿は、東西に長い境内の西奥にあり、前に幣殿・拝殿を控えている。様式は入母屋造、銅板葺きの一間社で、正面に唐破風を付け、縁が回っている。
組物により軒の装飾を賑やかにし、向拝に天井を設けるなど、江戸時代を通じて丹後地方の神社本殿にみられる特色を表している。府指定文化財。
社蔵の「歴代記」に「是 三河内石崎大明神再興有之候」とあることから、江戸時代後期の文政4年(1821年)の再建と考えられている。
例祭は5月4日。前日の3日が宵宮で、両日あわせて三河内曳山祭。3日の宵宮では、青年屋台と子供屋台の計12台が地区内を巡行する。
4日の例祭では、華やかに飾られた4台の山屋台をはじめ、計12台が巡行する、大規模な曳山行事で、府の文化財に登録されている。本殿前では神楽が奉納される。
「おーい」の儀式がある。これは、本祭礼の途中、傘鉾が奥山川にさしかかった時、山屋台、子供屋台とも囃子を止めて発せられるもの。
当社の東2キロほどに須勢理媛命を祀る須代神社があり、もともと当社神とは夫婦だったというが、須勢理媛命は大国主命の正妃となり、当社神とは離別した。
「おーい」と叫ぶ場所は、須勢理媛命が休憩している松の木があるとされ、三度呼びかける。当社神が妻を呼び戻す声、ともされている。
境内社に、稲荷神社・粟嶋神社がある。なお、丹波国には加佐郡にも同名の神社がある。
【ご利益】
産業振興、五穀豊穣、病気平癒、商売繁盛
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倭文神社(しとりじんじゃ/しどりじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町三河内にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の与謝野駅の南西約5キロ。出雲大社巌分祠の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「倭文神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
創祀年代は不詳。創建は奈良時代の和銅3年(710年)とも。御祭神は、天羽槌雄神(あめのはづちおのみこと)。
もとは三河内の筬村(おさむら)に鎮座していた。天録12年(981)12月、従二位に進んだ。鎌倉時代前期の貞応2年(1223年)、現在地に遷座したと伝えられる。
石崎大明神・石崎倭文大明神と称していたが、明治になり、現社号に改称。明治6年(1873年)2月、村社に列し、明治40年(1907年)3月には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和2年(1927年)、地震により損壊。その後復興が進められ、同時に境内地が整備され、末社・神門・社務所などが建てられた。昭和19年(1944年)11月、府社に昇格した。
本殿は、東西に長い境内の西奥にあり、前に幣殿・拝殿を控えている。様式は入母屋造、銅板葺きの一間社で、正面に唐破風を付け、縁が回っている。
組物により軒の装飾を賑やかにし、向拝に天井を設けるなど、江戸時代を通じて丹後地方の神社本殿にみられる特色を表している。府指定文化財。
社蔵の「歴代記」に「是 三河内石崎大明神再興有之候」とあることから、江戸時代後期の文政4年(1821年)の再建と考えられている。
例祭は5月4日。前日の3日が宵宮で、両日あわせて三河内曳山祭。3日の宵宮では、青年屋台と子供屋台の計12台が地区内を巡行する。
4日の例祭では、華やかに飾られた4台の山屋台をはじめ、計12台が巡行する、大規模な曳山行事で、府の文化財に登録されている。本殿前では神楽が奉納される。
「おーい」の儀式がある。これは、本祭礼の途中、傘鉾が奥山川にさしかかった時、山屋台、子供屋台とも囃子を止めて発せられるもの。
当社の東2キロほどに須勢理媛命を祀る須代神社があり、もともと当社神とは夫婦だったというが、須勢理媛命は大国主命の正妃となり、当社神とは離別した。
「おーい」と叫ぶ場所は、須勢理媛命が休憩している松の木があるとされ、三度呼びかける。当社神が妻を呼び戻す声、ともされている。
境内社に、稲荷神社・粟嶋神社がある。なお、丹波国には加佐郡にも同名の神社がある。
【ご利益】
産業振興、五穀豊穣、病気平癒、商売繁盛
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