倭文八社明神、大内郷の惣鎮守、往時は氏子は16ヶ村も
[住所]京都府舞鶴市今田1010
[電話]-
倭文神社(しとりじんじゃ)は、京都府舞鶴市今田にある神社。池内川東岸に鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「倭文神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
舞鶴線の真倉駅の北東。国道27号線を北上して、府道27号線を東進。池内川を渡ったら、府道74号を北上。
創祀年代は不詳。御祭神は天羽槌雄命。古来より倭文八社明神と唱え、高田神社とともに大内郷の惣鎮守だったという。
境内は、形状から察すると、前方後円墳を取り崩し、その後円部に神殿を造営したのではないかと考えられている。
当社も正式には「しとり」だが、もとは「しづり」で、「しつおり」「しづおり」の略。当社の場合「いぶん」とも。
「しず」とも。『丹後旧事記』には「志鳥大明神」、『丹哥府志』では「子烏大明神(子鳥大明神)」。『室尾山観音寺神名帳』には「正三位倭文明神」。
同名神社は全国にあるが、当社の本貫として、伯耆国一宮の倭文神社が指摘されている。また、与謝郡にも同名の式内社がある。
第66代一条天皇の御宇、平安時代の正暦3年(992年)、藤原朝臣平井保昌が丹後国大江山の鬼退治に際して誓願、再建したと伝えられている。
旧社領30石は平井保昌が寄進したものであったが、その後漸次減少して江戸時代前期の元禄16年(1703年)の頃には社領は全くない状態だったという。
氏子圏は、古くは池内谷各村のほか七日市、倉谷、福来、天台、上安久、上安など近郷16ヶ村に及んでいたと伝えられる。
しかし『旧語集』では、今田・万願寺・堀・布教・別所・岸谷・上根・寺田・白滝・池内下の10ヶ村に減少し、現在では三つの字にとどまっている。
例祭は10月17日。昼祭と呼ばれ、夜祭が7月15日にある。境内社に、稲荷神社(稲蒼魂神)、八幡神社(誉田別神)などがある。
『旧語集』には「右之村(10ヶ村)ヨリ毎年振物笹躍狂言ヲ勤」とある。また、昭和11年(1936年)までは、7年に一度、「ずきみこし」が行われていたという。
現在の本殿は、江戸時代後期の天保5年(1834年)、一間社流造。舞殿は、幕末の安政6年(1859年)に改築されたもの。
藤原期作と伝える男神像二体は市の文化財に指定されている。室町末期の「蒲生八幡宮」と陰刻されている鰐口を所蔵している。
他に、天然石を使い、天保年間(1831年-1845年)に作られた、4メートルを超える大灯籠は市内でも例を見ない大きさ。
【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、商売繁盛
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倭文神社(しとりじんじゃ)は、京都府舞鶴市今田にある神社。池内川東岸に鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「倭文神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
舞鶴線の真倉駅の北東。国道27号線を北上して、府道27号線を東進。池内川を渡ったら、府道74号を北上。
創祀年代は不詳。御祭神は天羽槌雄命。古来より倭文八社明神と唱え、高田神社とともに大内郷の惣鎮守だったという。
境内は、形状から察すると、前方後円墳を取り崩し、その後円部に神殿を造営したのではないかと考えられている。
当社も正式には「しとり」だが、もとは「しづり」で、「しつおり」「しづおり」の略。当社の場合「いぶん」とも。
「しず」とも。『丹後旧事記』には「志鳥大明神」、『丹哥府志』では「子烏大明神(子鳥大明神)」。『室尾山観音寺神名帳』には「正三位倭文明神」。
同名神社は全国にあるが、当社の本貫として、伯耆国一宮の倭文神社が指摘されている。また、与謝郡にも同名の式内社がある。
第66代一条天皇の御宇、平安時代の正暦3年(992年)、藤原朝臣平井保昌が丹後国大江山の鬼退治に際して誓願、再建したと伝えられている。
旧社領30石は平井保昌が寄進したものであったが、その後漸次減少して江戸時代前期の元禄16年(1703年)の頃には社領は全くない状態だったという。
氏子圏は、古くは池内谷各村のほか七日市、倉谷、福来、天台、上安久、上安など近郷16ヶ村に及んでいたと伝えられる。
しかし『旧語集』では、今田・万願寺・堀・布教・別所・岸谷・上根・寺田・白滝・池内下の10ヶ村に減少し、現在では三つの字にとどまっている。
例祭は10月17日。昼祭と呼ばれ、夜祭が7月15日にある。境内社に、稲荷神社(稲蒼魂神)、八幡神社(誉田別神)などがある。
『旧語集』には「右之村(10ヶ村)ヨリ毎年振物笹躍狂言ヲ勤」とある。また、昭和11年(1936年)までは、7年に一度、「ずきみこし」が行われていたという。
現在の本殿は、江戸時代後期の天保5年(1834年)、一間社流造。舞殿は、幕末の安政6年(1859年)に改築されたもの。
藤原期作と伝える男神像二体は市の文化財に指定されている。室町末期の「蒲生八幡宮」と陰刻されている鰐口を所蔵している。
他に、天然石を使い、天保年間(1831年-1845年)に作られた、4メートルを超える大灯籠は市内でも例を見ない大きさ。
【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、商売繁盛
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