大森神社、風土記記載の杜清水が今もこんこんと、7月に大名行列
[住所]京都府舞鶴市森872
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彌加宜神社(みかげじんじゃ)は、京都府舞鶴市森にある神社。舞鶴線・小浜線の東舞鶴駅の南500メートルほど。大森神社の名で知られる。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「弥加宜神社/彌伽宜神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創立年代は第10代崇神天皇11年、丹波道主之命が奉斎したのが起源だという。御祭神は天御影命、またの名は大日一箇命。

神代において、刀、斧など諸道具を造り始めた産業の始祖で、皇孫命に仕えて天孫降臨になった32神のうちの1神だという。

『丹後風土記』によれば、「杜の中に霊水あり、世に杜清水と称す」とあり、この杜清水(もりしみず)は1200年前の太古と変わらず混々と湧出している。

社中と境内2ヶ所にある神泉のことで、「延齢泉」とも呼ばれ、社中のものは3尺に4尺の方形で、それが当社の神殿の中心となっている。

現在は相殿に誉田別尊を祀る。本殿は、登録文化財。例祭はもとは旧暦6月14日、明治になり、7月14日に改まった。この日は、当社鎮座の日だと考えられている。

例祭では、80軒を越える昔懐かしい露天店が境内いっぱいに立ち並ぶ。また、大名行列が行われる。

昭和28年(1953年)9月25日、舞鶴地方を襲った台風13号は、死者53名、負傷者131名という未曽有の被害をもたらした。

こうした悲劇と困難から立ち上がろうと、森・行永両地区の氏子、宮衆に南商工会が呼びかけ、翌昭和29年(1954年)の例祭から、大名行列が挙行された。

それ以降毎年盛大に挙行され、昭和45年(1970年)に氏子有志が中心となり、「大森神社奉賛会」が結成され、現在に至っている。

また、元旦祭、夏祭の期間中、特別に社殿左脇に御霊水をいただける場所が設けられる。この御霊水は「長寿・幸運」を授かると伝わる。

境内は、府文化財環境保全地区に指定されている。社殿を包み込む木々は、古いもので樹齢400年、住宅地の中に珍しく残った自然として貴重。

境内社に、須佐見神社(素戔嗚命大己貴命)、水神社(美津波能賣命)、若宮稲荷神社(保食命)、森光稲荷神社(大宮網賣命)、縁結神社(大国主命)、三安神社(天照大神)、鹿島神社(武甕槌命)、八代神社(天照大神之御子五男三女神)の8社がある。

拝殿の前に、明治23年(1890年)6月建立の全体的な作りは出雲丹後狛犬風の狛犬が、縦置きで、阿吽の位置が反対で安置されている。

式内社「弥加宜神社」は当社でほぼ確定しているが、一説に市内松尾の松尾寺、その奥の院青葉山権現を式内社「弥加宜神社」に充てるものがある。

なお、当地の森・行永地区は、江戸時代まで、与保呂川の豊富な水源から田辺藩内で一番の米どころだった。

しかし、同川はかつて氾濫を繰り返し、治水への祈りから、与保呂川筋の有名な大蛇伝説を生んだ。いわゆる蛇切岩伝説である。

流されて蛇切岩(じゃきりいわ)に切られた大蛇の頭は日尾池姫神社に、胴は堂田宮に、尾は当社に祀られたと伝えられる。

【ご利益】
産業振興、事業成功、健康長寿、病気平癒
彌加宜神社 京都府舞鶴市森
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