三宅社、南北朝期の石燈籠、3年に一度の9月大祭りで田楽系芸能
[住所]京都府舞鶴市河辺中354-2
[電話]0773-66-1073

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、京都府舞鶴市河辺中にある神社。舞鶴湾の北東、舞鶴引上記念館から県道21号線、561号線を北進。河辺川の西岸。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「三宅神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。河辺八幡神社とも。

創祀年代は不詳。『丹後風土記残欠』に「三宅郷 河辺坐三宅社」とあり、式内社であれば、もとは式内社名、その後、三宅八幡宮と称したという。

中世以降、現社号で呼ばれるようになったというが、古い幟には今でも「三宅社」の文字が見られるという。

鎌倉時代後期の正和2年(1313年)、鎌倉時代末期の正慶6年、南北朝時代後期の至徳6年、江戸時代前期の寛永4年(1627年)に再建の記録が残るという。

ただし、正慶(1332年-1333年)は3年までしかなく、至徳(1384年-1387年)も4年までしかなく、不詳。

当社で有名なのが石燈籠で、その銘は「貞治3年(1364年)8月25日」とあり、南北朝時代のもの。本殿に向かって右側。京都から丹後にかけて広く分布する八角型。

『舞鶴市史』は、「(『丹後風土記残欠』)に対する史料検討が完全でない現在、直ちに河辺中を所祭地とすることには無理がある」として、慎重な立場を保っている。

式内社「三宅神社」の論社は他に、市内北吸の式内同名神社、喜多の宮崎神社、福知山市大江町公庄の熊野神社がある。

いずれにせよ、正八幡とも呼ばれ、当社は河辺中・西屋・室牛・河辺由里・河辺原・栃尾という河辺谷の6ヶ村(字)の氏神として、広く崇敬された。

昭和41年(1966年)3月6日、少年の放火で、本殿が焼失した。木彫の神像三体も黒焦げとなり、損壊した。

御祭神は誉田別尊猿田彦尊。例祭は9月で、3年に一度、大祭りがある。大祭りには河辺谷の6ヶ字がすべて揃う。

各字から太鼓屋台を引いた行列が出て、途中で合流しつつ、最後は大行列になる。宮入もそれぞれ行われ、そう多くない石段だが重い太鼓屋台を引き上げる。

六つの屋台太鼓が揃うと、練り込み太鼓が演じられる。昼食をはさみ、境内では多くの芸能が奉納される。

「鉾の舞」「太鼓の舞」「獅子の舞」「ヒザズリ」の田楽系芸能である。これらの芸能は、「宮講」と呼ばれる組織で守られ、戦時中も途絶えることなく、継承された。

始めに当社の土地を寄進した藤原家由来の祠の前で、次に当社拝殿で奉納される。府登録文化財、市無形文化財に指定されている。

境内社に、疫神社、大川神社、蛭子神社、愛宕神社があり、元栃尾の愛宕神社、元西屋の大谷神社、元室牛の天照皇太神社、元河辺原の荒神社、元河辺由里の若宮神社を合祀した。

境内にはタブノキやケヤキの巨木があるが、その中で目を引くのはムクロジ。樹高27メートル、目通り幹囲3.5メートル。また、等身大の大日如来像、大般若経約300巻が伝わる。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全
八幡神社 京都府舞鶴市河辺中
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