平安初期勧請、西伊豆第一、伊豆五大社の一つ、11月秋祭り奉納相撲
[住所]静岡県賀茂郡松崎町宮内37-1
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伊那上神社(いなかみじんじゃ)は、静岡県賀茂郡松崎町宮内にある神社。松崎町役場の東、国道136号線の近く。県道15号線との宮の前橋交差点すぐ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』伊豆国那賀郡にある「伊那上神社」「仲神社」「仲大歳神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、第52代嵯峨天皇の御宇、平安時代初期の弘仁8年(817年)、伊予国越智郡三島から、あるいは伊豆国国府三島から遷座したと伝えられる。

平安時代末期の承安3年(1173年)、源頼朝が当社に参詣して社田を寄進、その後は将軍家の尊嵩が篤かった。

文治元年(1186年)の文書には仁科荘那賀郷三島宮、南北朝時代の正中2年(1346年)の文書には三島大明神、『伊豆国神階帳』に「従四位上 いなかミの明神」とある。

往時は神領500石を領し、宮殿は広大で荘厳、末社80社あまりを有し、西伊豆第一の大社だったが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、大火に遭い焼失。

時の社司金差義長がすぐに再建したが、慶長年間(1596年-1615年)に再び火災で社殿、社宝、旧記などすべて焼失した。

江戸時代になり、慶長13年(1608年)、時の金山奉行、兼伊豆代官の大久保石見守長安が寄進した金燈籠には「仲神社(那賀神社)」とある。

この際、大久保長安は伊那下神社にも金燈籠を奉納したが、そこには「松崎大明神」とある。伊那下神社は当社の南西500メートルほどに鎮座する。

この金燈籠により、当社は式内社「仲神社」「仲大歳神社」とも考えられている。「仲神社」の論社は他に、中世に当社が合祀したという町内那賀の式内同名神社がある。

「仲大歳神社」の論社は他に、伊那下神社と、町内那賀の仲神社、西伊豆町中の神明神社がある。

慶長5年(1600年)の神領附の古文書に「上宮」とあるが、これは伊那下神社に対応したものと考えられる。江戸期の朱印地は20石。

江戸時代中期の正徳2年(1712年)の棟札には「唯一神道祭官那賀郷大鎮守也」とある。「伊豆の五大社」の一つともされる。

明治6年(1873年)8月、郷社に列し、明治40年(1907年)6月21日には神饌幣帛料供進社に指定された。御祭神は積羽八重事代主命。例祭は11月2日。奉納相撲がある。

経塚から出土した鎌倉時代中期の和鏡・神鏡「松喰双鶴鏡」や神像などを所蔵している。「松喰双鶴鏡」は長安の金燈籠(釣燈篭)とともに、県指定文化財。

境内には、御神木の切り株と土俵などがある。また、神楽を舞うウサギの彫刻などが安置されている。伊那下神社宮司によるチェーンソーアートとも。

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伊那上神社 静岡県賀茂郡松崎町宮内
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