石火宮・唐大明神、11月ケンカ獅子と式三番叟、神明水、大イチョウ
[住所]静岡県賀茂郡松崎町松崎28
[電話]0558-42-2268
伊那下神社(いなしもじんじゃ)は、静岡県賀茂郡松崎町松崎にある神社。伊豆半島西南、松崎町役場の南近く、国道136号線沿い。近くに長八美術館がある。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』伊豆国那賀郡にある「伊那下神社」「仲大歳神社」「伊志夫神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。もともとは牛原山と、その麓に湧く真水を対象とした信仰で、社殿なく、牛原山の嶺三本松と呼ばれるところが、自然の祭場だった。
かつて、大山祇神の系統である石火族が住んでおり、別名を石火宮と称して、産業の守護神で、大山祇神の孫にもあたる彦火火出見尊を奉斎したという。
石火宮のため、当社を式内社「伊志夫神社」とする説がある。式内社「伊志夫神社」の論社は他に、町内石部の式内同名神社がある。
鎮座地の北東500メートルほどに伊那上神社があり、当社とは対をなしている。当社は下の宮とも呼ばれている。
社伝によると、造船技術に長けていた新羅の帰化人である猪名部一族が当地に流れ着いて伊那という地名になった。
伊那湾の下にその産土神として祀ったのが当社の起源だという。『伊豆国神階帳』に「従四位上 いなしもの明神」とある。
慶長13年(1608)3月、大久保石見守長安が伊那上神社に「那賀神社」と記した金燈籠を奉納、当社にも同型の「松崎大明神」とある灯籠を奉納した。
当時、当社は唐大明神(もろこしだいみょうじん)と称していたが、江戸時代中期の寛政年間(1789年-1801年)、江川坦庵が「伊那下」の額を奉り、以降現社号となった。
唐大明神と称したことから、大唐=大歳と考え、伊那上神社を式内社「仲神社」と考えると同時に、当社を式内社「仲大歳神社」とする説がある。
式内社「仲大歳神社」の論社は他に、伊那上神社と、町内那賀の仲神社、西伊豆町中の神明神社がある。また、式内社「伊那下神社」の論社は他に、町内江奈の舟寄神社がある。
唐大明神とは、神功皇后が新羅征討の時、唐の国人が皇后の御船を守護し、長門豊浦に留まり、後に当地に移って住吉三神を奉斎したためであるという。両輿大明神(もろこしだいみょうじん)とも。
当社は、正月、5月、9月の二十日祭りにおいて、朝廷の神道祭祇の卜部家より、当社累代の神職である森氏に本官の服装、有紋黒袍を着用し、祭祀を司ることが許された。
明治6年(1873年)9月、村社に列し、昭和5年(1930年)8月には郷社に昇格し、神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は、山神として彦火火出見尊、海神として住吉三柱大神、水神として龍谷水神。龍谷水神については、当社には「神明水」がある。
神明水は、清らかな湧き水で、側には龍谷水神社が祀られている。龍谷水神社に参拝してから水をくむ。
「長寿の泉」ともされ、その味に定評があり、遠くから水を汲みに訪れる人も多い。コーヒーやお茶を入れてもおいしくなると評判。
例祭は11月2日・3日。2日午前5時に神輿に神霊を移す御旅式のあと、境内で獅子舞の噛み合わせを行い、氏子町内をめぐり悪霊を清める。
噛み合わせの荒々しさから、ケンカ獅子と呼ばれ、唐大明神の荒御魂を表していると伝える。3日には神輿濱降りが行われ、お濱降神事があり、各御旅所を回る。
また、2日の夜、3日の夕方に境内舞殿で式三番叟が奉納される。千歳、翁、三番(三番叟)の舞い方と、太鼓、鼓、笛、地謡の囃子方で構成される。
千歳と三番は小学生、翁は若衆が務める。演者は毎年交代なので、一生に一度のこと。安土桃山時代の、後北条氏の領国支配の中で生まれたのが起源とされる。
静かに舞う「千歳の舞」、すり足で舞う「翁の舞」、翁を手に掛けながら軽快に舞う「扇の舞」、黒面を着けて鈴を振りながら重々しく舞う「鈴の舞」を演じる。
境内には、県指定天然記念物の樹齢約1000年という大イチョウがあり、その昔、沖を行く船が、秋になり黄葉した姿を目印にしたとも言われている。
目通り8メートル、樹高22メートル、枝張り25メートル。近年は他の2本のイチョウと合わせ、「親子イチョウ」として親しまれている。
境内社に、松崎護国神社、大足社、厳島神社、秋葉神社、愛宕神社、津島神社、金刀比羅神社、天満宮がある。
また他に、海神社、石神社、三峯社、御霊社、道祖社、稲荷社、沖宮、墨江社、船玉宮などがある。
【ご利益】
産業守護・交通航海守護・健康長寿・学業就職守護・手足守護・良縁成就(公式HP)

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[電話]0558-42-2268
伊那下神社(いなしもじんじゃ)は、静岡県賀茂郡松崎町松崎にある神社。伊豆半島西南、松崎町役場の南近く、国道136号線沿い。近くに長八美術館がある。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』伊豆国那賀郡にある「伊那下神社」「仲大歳神社」「伊志夫神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。もともとは牛原山と、その麓に湧く真水を対象とした信仰で、社殿なく、牛原山の嶺三本松と呼ばれるところが、自然の祭場だった。
かつて、大山祇神の系統である石火族が住んでおり、別名を石火宮と称して、産業の守護神で、大山祇神の孫にもあたる彦火火出見尊を奉斎したという。
石火宮のため、当社を式内社「伊志夫神社」とする説がある。式内社「伊志夫神社」の論社は他に、町内石部の式内同名神社がある。
鎮座地の北東500メートルほどに伊那上神社があり、当社とは対をなしている。当社は下の宮とも呼ばれている。
社伝によると、造船技術に長けていた新羅の帰化人である猪名部一族が当地に流れ着いて伊那という地名になった。
伊那湾の下にその産土神として祀ったのが当社の起源だという。『伊豆国神階帳』に「従四位上 いなしもの明神」とある。
慶長13年(1608)3月、大久保石見守長安が伊那上神社に「那賀神社」と記した金燈籠を奉納、当社にも同型の「松崎大明神」とある灯籠を奉納した。
当時、当社は唐大明神(もろこしだいみょうじん)と称していたが、江戸時代中期の寛政年間(1789年-1801年)、江川坦庵が「伊那下」の額を奉り、以降現社号となった。
唐大明神と称したことから、大唐=大歳と考え、伊那上神社を式内社「仲神社」と考えると同時に、当社を式内社「仲大歳神社」とする説がある。
式内社「仲大歳神社」の論社は他に、伊那上神社と、町内那賀の仲神社、西伊豆町中の神明神社がある。また、式内社「伊那下神社」の論社は他に、町内江奈の舟寄神社がある。
唐大明神とは、神功皇后が新羅征討の時、唐の国人が皇后の御船を守護し、長門豊浦に留まり、後に当地に移って住吉三神を奉斎したためであるという。両輿大明神(もろこしだいみょうじん)とも。
当社は、正月、5月、9月の二十日祭りにおいて、朝廷の神道祭祇の卜部家より、当社累代の神職である森氏に本官の服装、有紋黒袍を着用し、祭祀を司ることが許された。
明治6年(1873年)9月、村社に列し、昭和5年(1930年)8月には郷社に昇格し、神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は、山神として彦火火出見尊、海神として住吉三柱大神、水神として龍谷水神。龍谷水神については、当社には「神明水」がある。
神明水は、清らかな湧き水で、側には龍谷水神社が祀られている。龍谷水神社に参拝してから水をくむ。
「長寿の泉」ともされ、その味に定評があり、遠くから水を汲みに訪れる人も多い。コーヒーやお茶を入れてもおいしくなると評判。
例祭は11月2日・3日。2日午前5時に神輿に神霊を移す御旅式のあと、境内で獅子舞の噛み合わせを行い、氏子町内をめぐり悪霊を清める。
噛み合わせの荒々しさから、ケンカ獅子と呼ばれ、唐大明神の荒御魂を表していると伝える。3日には神輿濱降りが行われ、お濱降神事があり、各御旅所を回る。
また、2日の夜、3日の夕方に境内舞殿で式三番叟が奉納される。千歳、翁、三番(三番叟)の舞い方と、太鼓、鼓、笛、地謡の囃子方で構成される。
千歳と三番は小学生、翁は若衆が務める。演者は毎年交代なので、一生に一度のこと。安土桃山時代の、後北条氏の領国支配の中で生まれたのが起源とされる。
静かに舞う「千歳の舞」、すり足で舞う「翁の舞」、翁を手に掛けながら軽快に舞う「扇の舞」、黒面を着けて鈴を振りながら重々しく舞う「鈴の舞」を演じる。
境内には、県指定天然記念物の樹齢約1000年という大イチョウがあり、その昔、沖を行く船が、秋になり黄葉した姿を目印にしたとも言われている。
目通り8メートル、樹高22メートル、枝張り25メートル。近年は他の2本のイチョウと合わせ、「親子イチョウ」として親しまれている。
境内社に、松崎護国神社、大足社、厳島神社、秋葉神社、愛宕神社、津島神社、金刀比羅神社、天満宮がある。
また他に、海神社、石神社、三峯社、御霊社、道祖社、稲荷社、沖宮、墨江社、船玉宮などがある。
【ご利益】
産業守護・交通航海守護・健康長寿・学業就職守護・手足守護・良縁成就(公式HP)

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