牛臥山、里宮・楊原神社の山宮か、潮留明神、厳冬海中みそぎ祭り
[住所]静岡県沼津市下香貫山宮前3056-2
[電話]-
大朝神社(おおあさじんじゃ)は、静岡県沼津市下香貫山宮前にある神社。東海道本線の沼津駅の南、沼津港の南、駿河湾に臨む牛臥山の手前。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「大朝神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当社は古来、山宮と称され、牛臥山は山宮山とも呼ばれ、鎮座地の字名も山宮前。
楊原神社とは祭祀の母体・内容とも共有しており、一体の存在と考えられている。現在でも楊原神社とは大祭を共催する。
古くは楊原神社との間には浅瀬が広がっていたと想定され、里宮の楊原神社に対して、当社は海に浮かぶ小島に祀られた山宮だったと考えられている。
社伝によれば、中古まで境内に小さな池があり、そのそばに大石があった。奉幣使がその石に烏帽子を掛け、手洗いしたことから、手洗石とも烏帽子掛石とも呼ばれた。
この大石は、今でも林の中に現存するとも。当時、津波の被害が多かったが、鎌倉時代後期、日蓮上人が曼陀羅を掲げて祈祷すると津波の被害がなくなった。
そのため、潮留明神とも呼ばれた。西に隣接して、日縮寺という日蓮宗の寺院があるが、近世を通じて、当社の別当を務めた。
御祭神は大日孁命。明治8年(1875年)2月、村社に列した。例祭は1月16日。現在は1月第2日曜日で、厳冬海中みそぎ祭り。
楊原神社と当社から渡御した神輿が浜降りする神事。御用邸記念公園から牛臥山公園で合流する。
小浜海岸で式典、神事、祝い水、水かけ、餅まきなどが行われる。見所は、新成人ならびに厄払いの成人氏子が神輿を担いだまま海中でみそぎを行う勇壮な姿。
厳寒の海に威勢のよい掛け声とともに、男衆が担ぎ渡る海中渡御は圧巻。地元団体のしゃぎりの演奏も行われ、祭りを盛り上げる。
境内社が社殿の左右にあり、左手が山神社、右手が木ノ宮神社。木ノ宮神社の後方に、石祠がいくつか並んでいる。
なお、式内社「大朝神社」の論社は他に、伊豆市の大宮神社、市内大平の鷲頭神社、三島市大場の赤王神社があり、伊豆の国市神島の神益麻志神社が参考社とされる。
【ご利益】
身体壮健、無病息災、地域安全、開運招福

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大朝神社(おおあさじんじゃ)は、静岡県沼津市下香貫山宮前にある神社。東海道本線の沼津駅の南、沼津港の南、駿河湾に臨む牛臥山の手前。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「大朝神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当社は古来、山宮と称され、牛臥山は山宮山とも呼ばれ、鎮座地の字名も山宮前。
楊原神社とは祭祀の母体・内容とも共有しており、一体の存在と考えられている。現在でも楊原神社とは大祭を共催する。
古くは楊原神社との間には浅瀬が広がっていたと想定され、里宮の楊原神社に対して、当社は海に浮かぶ小島に祀られた山宮だったと考えられている。
社伝によれば、中古まで境内に小さな池があり、そのそばに大石があった。奉幣使がその石に烏帽子を掛け、手洗いしたことから、手洗石とも烏帽子掛石とも呼ばれた。
この大石は、今でも林の中に現存するとも。当時、津波の被害が多かったが、鎌倉時代後期、日蓮上人が曼陀羅を掲げて祈祷すると津波の被害がなくなった。
そのため、潮留明神とも呼ばれた。西に隣接して、日縮寺という日蓮宗の寺院があるが、近世を通じて、当社の別当を務めた。
御祭神は大日孁命。明治8年(1875年)2月、村社に列した。例祭は1月16日。現在は1月第2日曜日で、厳冬海中みそぎ祭り。
楊原神社と当社から渡御した神輿が浜降りする神事。御用邸記念公園から牛臥山公園で合流する。
小浜海岸で式典、神事、祝い水、水かけ、餅まきなどが行われる。見所は、新成人ならびに厄払いの成人氏子が神輿を担いだまま海中でみそぎを行う勇壮な姿。
厳寒の海に威勢のよい掛け声とともに、男衆が担ぎ渡る海中渡御は圧巻。地元団体のしゃぎりの演奏も行われ、祭りを盛り上げる。
境内社が社殿の左右にあり、左手が山神社、右手が木ノ宮神社。木ノ宮神社の後方に、石祠がいくつか並んでいる。
なお、式内社「大朝神社」の論社は他に、伊豆市の大宮神社、市内大平の鷲頭神社、三島市大場の赤王神社があり、伊豆の国市神島の神益麻志神社が参考社とされる。
【ご利益】
身体壮健、無病息災、地域安全、開運招福

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