大楠が宇久須に転訛した三嶋大明神、大久保長安が奉納した釣灯籠
[住所]静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須1269-1
[電話]-
宇久須神社(うぐすじんじゃ)は、静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須にある神社。国道136号線の宇久須南の交差点を県道410号線に入り東進。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「宇久須神社(伊豆国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『伊豆国神階帳』に「従四位上 宇久須の明神」とある。宇久須川と大久須川の合流地点近くに鎮座。
社号「宇久須」に関してはいくつかの説がある。まず、浮き楠の意味であり、楠で作った船の霊を奉斎するという意味。
また、大楠や小楠から来たとする説。いずれの説も、楠との関係を示しており、当地に楠(クスノキ)が多かったということ。
御祭神は、積羽八重事代主命。古来、宇久須大明神、三島大明神と称し、当地方の総鎮守だった。南北朝時代末期の永和2年(1376年)1月、御神体修理の記録が残る。
明治6年(1873年)8月、村社に列し、明治7年(1874年)には現社号に復した。昭和11年(1936年)9月4日、神饌幣帛料供進社に指定された。
一説に、別殿に五座を祀る。五座とは、正八幡宮・若宮八幡宮・今宮八幡宮の誉田別命、厳島神社の市杵島姫命、金刀比羅社の大物主命。
現在は社殿の中に本殿の他、いくつかの境内社らしい祠が祀られており、これがいわゆる別殿五座の可能性がある。例祭は10月3日。
本殿は、安土桃山時代の慶長3年(1598年)3月に造営されたものだという。改修されているとは思うが、この年代であれば何らかの文化財指定があってもおかしくはない。
当社には江戸時代初期の慶長14年(1609年)11月に奉納された釣灯籠と、慶長17年(1612年)8月に奉納された三十六歌仙額がある。
このうち、釣灯籠は大久保石見守長安による奉納。長安は家康の武将、というよりも官僚として功績を残した。
特に家康の金銀山の統轄に手腕を発揮し、慶長11年(1606年)2月に伊豆奉行に任じられている。この釣灯籠はその在任中の奉納だと考えられる。
釣灯籠は六角形のもので、全体に青銅版の鋳金が施され、中央の唐草透かし彫りの上に打ち出された昇り藤の定紋と、上段下段の庇に刻まれた宝珠を大きな特徴とする。
優美で精巧を究めた作品として、県の文化財に指定されている。また、三十六歌仙額は服部大蔵などによる寄進だという。
社殿の中には、幕末の安政5年(1858年)4月に濱芝邑若者中から奉納された狛犬がある。室内で安置されていたためか、とても幕末作とは思えないきれいな保存状態。
境内には他に、戦没者慰霊塔・日清日露戦役記念碑がある。
【ご利益】
産業振興、事業成功、商売繁盛
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
宇久須神社(うぐすじんじゃ)は、静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須にある神社。国道136号線の宇久須南の交差点を県道410号線に入り東進。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「宇久須神社(伊豆国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『伊豆国神階帳』に「従四位上 宇久須の明神」とある。宇久須川と大久須川の合流地点近くに鎮座。
社号「宇久須」に関してはいくつかの説がある。まず、浮き楠の意味であり、楠で作った船の霊を奉斎するという意味。
また、大楠や小楠から来たとする説。いずれの説も、楠との関係を示しており、当地に楠(クスノキ)が多かったということ。
御祭神は、積羽八重事代主命。古来、宇久須大明神、三島大明神と称し、当地方の総鎮守だった。南北朝時代末期の永和2年(1376年)1月、御神体修理の記録が残る。
明治6年(1873年)8月、村社に列し、明治7年(1874年)には現社号に復した。昭和11年(1936年)9月4日、神饌幣帛料供進社に指定された。
一説に、別殿に五座を祀る。五座とは、正八幡宮・若宮八幡宮・今宮八幡宮の誉田別命、厳島神社の市杵島姫命、金刀比羅社の大物主命。
現在は社殿の中に本殿の他、いくつかの境内社らしい祠が祀られており、これがいわゆる別殿五座の可能性がある。例祭は10月3日。
本殿は、安土桃山時代の慶長3年(1598年)3月に造営されたものだという。改修されているとは思うが、この年代であれば何らかの文化財指定があってもおかしくはない。
当社には江戸時代初期の慶長14年(1609年)11月に奉納された釣灯籠と、慶長17年(1612年)8月に奉納された三十六歌仙額がある。
このうち、釣灯籠は大久保石見守長安による奉納。長安は家康の武将、というよりも官僚として功績を残した。
特に家康の金銀山の統轄に手腕を発揮し、慶長11年(1606年)2月に伊豆奉行に任じられている。この釣灯籠はその在任中の奉納だと考えられる。
釣灯籠は六角形のもので、全体に青銅版の鋳金が施され、中央の唐草透かし彫りの上に打ち出された昇り藤の定紋と、上段下段の庇に刻まれた宝珠を大きな特徴とする。
優美で精巧を究めた作品として、県の文化財に指定されている。また、三十六歌仙額は服部大蔵などによる寄進だという。
社殿の中には、幕末の安政5年(1858年)4月に濱芝邑若者中から奉納された狛犬がある。室内で安置されていたためか、とても幕末作とは思えないきれいな保存状態。
境内には他に、戦没者慰霊塔・日清日露戦役記念碑がある。
【ご利益】
産業振興、事業成功、商売繁盛
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
コメント
コメント一覧 (1)