御祭神名「金山」が式内「金村」の論拠? 江川家の氏神とも
御嶽神社 静岡県伊豆の国市韮山金谷116-1
[住所]静岡県伊豆の国市韮山金谷116-1
[電話]-

御嶽神社(みたけじんじゃ)は、静岡県伊豆の国市韮山金谷にある神社。伊豆箱根鉄道駿豆線の韮山駅の東、韮山城跡・城池親水公園のさらに東。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「金村五百君和気命神社/金村五百君和氣命神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

創建年代や由緒は不詳。御祭神は金山彦命金山比咩命。式内比定根拠は、この金山と金村の類似か。

ただし、『式内社調査報告』ではこの説を否定している。奈古谷には金村五百君別命を御祭神とする奈胡谷神社がある。

また、同じ田方郡に式内社「金村五百村咩命神社」がある。現在は函南町仁田の初姫神社に比定されている。

その御祭神が金村五百村咩命で、式内社「金村五百君和気命神社」とは夫婦神という説がある。

もちろん、奈胡谷神社が式内社「金村五百君和気命神社」の論社ではあるが、『式内社調査報告』を信じれば、当社はあくまでも参考社の扱いか。

『式内社調査報告』によれば、当社は江川家一族が当地に移住する際に勧請したのが当社だという。いわば、江川家の氏神か。

江川家は、中世以来、当地の領主として、また、江戸時代を通じて、伊豆を中心とする諸国の代官を務めた家柄で、当社北西すぐに旧韮山代官所跡、江川邸がある。

その祖は、藤原道長の部下であった源頼親で、もともとは畿内の大和国に領地を持っていた。しかし、政変に敗れ、土佐国に流された。

その後、その大和源氏と呼ばれた子孫は各地へ散らばっていった。このうち、伊豆へ流れてきた大和源氏の一派が宇野姓を名乗るようになった。

その一族の一人である宇野治長が源頼朝の挙兵を助けた功で、現在の江川荘が安堵され、領域支配が確定した。

その後、鎌倉幕府に仕え、さらにその後も北条早雲を始祖とする後北条氏を主とするなど、その時代の支配者に仕えてきた。

豊臣秀吉の小田原征伐において、江川家28代の江川英長は、それまで仕えてきた後北条氏を見限り、秀吉方の徳川家康に与した。

この功により、江川家は中央政権の代官に任ぜられ、それは江戸時代に入っても続き、一時期職を退くことはあっても、基本的に明治維新まで続いた。

以上の江川家の流れを考えると、『式内社調査報告』が正しければ、当社の勧請は平安時代末期、宇野治長が源頼朝陣営に入った頃ということになるだろうか。

ともかく、当社は江川家全盛の頃と考えられる江戸時代を通じて、蔵王の宮と称していたという。例祭は10月17日。

石鳥居は、江戸時代中期の宝暦5年(1755年)、江川家第33代江川英彰が寄進したもの。社殿の建築年代は不詳だが、昭和11年(1936年)に撮影された写真が残っている。

【ご利益】
事業成功、産業振興、一族・子孫繁栄
御嶽神社 静岡県伊豆の国市韮山金谷
【関連記事】
静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧