金村五百村咩命を奉斎する式内郷社、樹高32メートルの大クスノキ
[住所]静岡県田方郡函南町仁田587
[電話]-
初姫神社(はつひめじんじゃ)は、静岡県田方郡函南町仁田にある神社。伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆仁田駅の東。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「金村五百村咩命神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
狩野川に流れ込む来光川、柿沢川の合流地点の近くに鎮座。現在、幼稚園の西隣り、というよりも当社境内の中に幼稚園がある。
創祀年代は不詳。海抜13メートル、当地周辺において、「縄文海退」があった際のラインに位置する聖地の一つ。
『伊豆国神階帳』に「従四位上 たわらの明神」とある。また、『明治神社誌料』では、当社を「従四位上 なつめの明神」とする。
御祭神は金村五百村咩命。同じく田方郡の式内社に「金村五百君和気命神社」があり、両社の御祭神は夫婦とする説がある。
この場合、金村五百村咩命の「村」は「比」の誤字と考えられ、本来は「金村五百比咩命神社」だったという。
なお、式内社「金村五百君和気命神社」の論社は伊豆の国市の奈胡谷神社と御嶽神社があるが、御祭神が金村五百君別命であるのは、奈胡谷神社のみ。
また、一説に「金村」とは金谷という地名から採られ、「五百村」とは、多くの集落の意。
つまり金村五百村咩命神社とは金谷という地の多くの集落の集まった場所にある姫神を祀る神社という意味だという。
金村五百村咩であれば「かなむらいほむらひめ」、金村五百比咩であれば「かなむらいほひめ」か。
江戸時代中期の享保4年(1719年)の棟札には「楊原明神」と書かれており、江戸時代には楊原明神と呼ばれていた。
初姫明神とも呼ばれたという。沼津の泉明寺が別当だった。明治6年(1873年)、郷社に列し、現社号に戻した。
例祭は10月10日。近代は昭和20年(1945年)まで例祭当日は周辺の小学校が休みになっていた。神事の際は、雅楽が奏でられ、ピーヒャードンと賑やかに執行されていた。
境内社に、神明社・八坂神社・床浦神社・王子神社・山神社・御嶽神社・金山社・稲荷社がある。
境内には、樹高32メートル、目通り幹囲5.8メートル、推定樹齢300年以上のクスノキの巨樹がある。
【ご利益】
子宝、安産、子育て、家内安全、地域安全
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
初姫神社(はつひめじんじゃ)は、静岡県田方郡函南町仁田にある神社。伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆仁田駅の東。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「金村五百村咩命神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
狩野川に流れ込む来光川、柿沢川の合流地点の近くに鎮座。現在、幼稚園の西隣り、というよりも当社境内の中に幼稚園がある。
創祀年代は不詳。海抜13メートル、当地周辺において、「縄文海退」があった際のラインに位置する聖地の一つ。
『伊豆国神階帳』に「従四位上 たわらの明神」とある。また、『明治神社誌料』では、当社を「従四位上 なつめの明神」とする。
御祭神は金村五百村咩命。同じく田方郡の式内社に「金村五百君和気命神社」があり、両社の御祭神は夫婦とする説がある。
この場合、金村五百村咩命の「村」は「比」の誤字と考えられ、本来は「金村五百比咩命神社」だったという。
なお、式内社「金村五百君和気命神社」の論社は伊豆の国市の奈胡谷神社と御嶽神社があるが、御祭神が金村五百君別命であるのは、奈胡谷神社のみ。
また、一説に「金村」とは金谷という地名から採られ、「五百村」とは、多くの集落の意。
つまり金村五百村咩命神社とは金谷という地の多くの集落の集まった場所にある姫神を祀る神社という意味だという。
金村五百村咩であれば「かなむらいほむらひめ」、金村五百比咩であれば「かなむらいほひめ」か。
江戸時代中期の享保4年(1719年)の棟札には「楊原明神」と書かれており、江戸時代には楊原明神と呼ばれていた。
初姫明神とも呼ばれたという。沼津の泉明寺が別当だった。明治6年(1873年)、郷社に列し、現社号に戻した。
例祭は10月10日。近代は昭和20年(1945年)まで例祭当日は周辺の小学校が休みになっていた。神事の際は、雅楽が奏でられ、ピーヒャードンと賑やかに執行されていた。
境内社に、神明社・八坂神社・床浦神社・王子神社・山神社・御嶽神社・金山社・稲荷社がある。
境内には、樹高32メートル、目通り幹囲5.8メートル、推定樹齢300年以上のクスノキの巨樹がある。
【ご利益】
子宝、安産、子育て、家内安全、地域安全
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
コメント