竹内宿禰の矢が落ちた矢落谷の地の「大炊の神」、木製の幟と鳥居
[住所]鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅1
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意非神社(いひじんじゃ/おいじんじゃ)は、鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅にある神社。若桜鉄道線の若桜駅の東、国道29号線の若桜街道の若桜交差点を東進する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「意非神社(因幡国・八上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。後述のように、武内宿禰の逸話が伝承されているため、第15代応神天皇の御宇、その前後あたりには存在していたか。

天饒日尊の四世孫である天礪目命が大炊形部と称し、その子孫が、祖神を祀ったという。天饒日尊は他に見えない神名。

天礪目命は『新撰姓氏録』右京神別下に火明命三世孫とあり、朝来直の祖でもある。天饒日尊はおそらく、邇藝速日命のことか。

古くは「意非の宮」と呼ばれ、一ノ宮谷(不香田)に鎮座したが、武内宿禰が白羽の矢を射て、落ちた場所に「大炊の神を遷す」と宣言した。

そのため、現在地近くに遷座した。当社の神紋は違い矢紋であるが、この逸話に基づいたものと考えられる。また、『因幡志』では、大炊宮、老ノ宮とも表記された。

武内宿禰が放った矢が落ちた地が矢落谷、これが矢堂羅、屋堂羅と変化して、現在の地名につながっているという。

鎌倉時代の弘安年間(1278年-1288年)、官幣使があったという。江戸時代前期の元禄2年(1689年)、字宮ノ前に遷座し、社殿を再建した。

明治7年(1874年)12月、社殿の造替えが行われた。例祭は10月9日。若桜宿から八東川を越えた屋堂羅地区の入口の丘上に鎮座する。

丘を下ったところに日本一の大きさの幟がある。いわゆる「日本一の大幟」。昭和20年(1945年)頃まで存在した「五反のぼり」が平成になって再建されたもの。

平成元年(1989年)10月8日、樹齢100年、高さ31メートルの屋堂羅産の杉を竿として、再建された。

幟の大きさは縦26.8メートル、横1.8メートルで、畳30枚の広さに相当する。揮毫は、幟が坂野重信、掲揚台が西尾邑次、記念碑は竹本憲治。

また、日本有数の木製大鳥居がある。平成23年(2011年)1月30日、幟竿と同じく樹齢80年以上、高さ18メートルの屋堂羅産の杉により建立された。

大きさは縦10.8メートル、横9.2メートルで、木製鳥居としては日本で五指に入るという。社号表揮毫は鳥取県神社庁庁長永江則英による。

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意非神社 鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅
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