阿太賀都建御熊命神社、御祭神の石橋作りの伝説ある玄武岩柱状節理
御熊神社(阿太賀都建御熊命神社) 鳥取県鳥取市御熊612
[住所]鳥取県鳥取市御熊612
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御熊神社(みくまじんじゃ)は、鳥取県鳥取市御熊にある神社。湖山池の西、山陰本線の宝木駅の南。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』因幡国高草郡にある「阿太賀都建御熊命神社(あだかつたけみくまのみことじんじゃ)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。通称は御熊神社だが、正式名は現在も式内社名と同様の阿太賀都健御熊命神社。御祭神は御熊命。天穂日命の子である。

『古事記』に記載はないが、『日本書紀』によれば、葦原中国平定のため、派遣された天穂日命が3年経っても帰ってこないので、その子が派遣された。

その名が、大背飯三熊大人(おおそびのみくまのうし)、別名が武三熊之大人(たけみくまのうし)。健三熊之命(たけみくまのみこと)などとも。

しかし、その大背飯三熊大人も、父神同様、帰って来なかった、という。この大背飯三熊大人が、当社御祭神である御熊命のこと。

『古事記』には、天菩比命(天穂日命)の子に建比良鳥命(天夷鳥命)とあり、大背飯三熊大人(御熊命)は、建比良鳥命と同神と考えられている。

市内福井には当社神の父を祀る天穂日命神社が、大畑には当社神と同神と考えられている建比良鳥命を祀る天日名鳥命神社がある。

平安時代前期の貞観7年(865年)6月8日、従五位下に進んだ。江戸時代中期の明和6年(1769年)、柱大明神と称したという。

柱大明神の由来は後述。また、三藏社とも。寛政7年(1795年)、現社号(式内社名の正式名称)に改称し、明治4年(1871年)、村社に列した。

主祭神は御熊命だが、現在までに保食神木花開邪姫命を配祀する。例祭は4月、不定期に開催されるという。

当社周辺には、玄武岩の柱状節理が多く産出しており、「御熊神社 玄武岩柱状節理」として市指定文化財。

当社御祭神が隠岐へ渡ろうと、一夜で石橋を築いたという伝説が残り、当社は、その石が捨て置かれたところだという。

石橋作りは天邪鬼が邪魔して夜明けの鶏鳴を真似たため、夜明けと思って放棄したという。全国各地に伝わる鶏鳴伝説の一つと思われる。

この時、石を切り出す鉄を鍛えた鍛冶屋谷、石の切屑を捨てた石屑谷、細工谷などの地名が今も残り、摂社には鍛冶殿社がある。

近世の当社名である柱大明神とは、この柱状節理が産することによるもの。径約50センチ、長さ150-200センチの六角状の玄武岩で形成されている。

その数量や正確な範囲は不明だが、社殿への参道階段や民家の石垣などにはこれらの玄武岩が多く利用されている。

玄武岩の産地は市内にもみられるが、そのほとんどが縦型柱状節理のものであって、当社にみられる横型柱状のものは珍しいという。

社叢は巨木の多いタブノキ―シラカシの照葉樹の極相林で、薄暗く、参道に柱状の玄武岩が敷き詰められているため、石橋の伝説にふさわしい雰囲気が漂っている。

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御熊神社(阿太賀都建御熊命神社) 鳥取県鳥取市御熊
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