南東80キロほどに播磨一宮の同名神社、もとは岩室大明神
[住所]鳥取県鳥取市岩吉249
[電話]-
伊和神社(いわじんじゃ)は、鳥取県鳥取市岩吉にある神社。鳥取港の近く、湖山池と千代川の間、山陰本線の湖山駅の東。木の実神社の先。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊和神社(因幡国・高草郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当社の南東80キロほどに、式内名神大社、播磨国一宮の同名神社がある。現在も両社は、国道29号線で結ばれている。
現在地から西北約100メートルに岩山がある。古来、岩室山と呼ばれ、その北側に隣接して大きな岩があり、神社岩、または岩室石と呼ばれた。
この巨岩の付近が旧地だったと考えられている。当初から岩室のある岩室村で祀られ、岩室大明神と呼ばれるようになった。伊和はつまり岩。
現在も圧倒されんばかりの巨岩は存在するが、民家の敷地内なので、立ち入りはできない。この地域は、縄文時代には海で、この岩室山は島だった、とも。
室町時代の応仁年間(1467年-1469年)、天下動乱のため神領が断絶した。後に回復したようだが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、兵乱により再度断絶。
江戸時代になると、社勢も回復したようで、江戸時代中期の明和6年(1769年)には岩室大明神と称して崇敬された記録が残る。
幕末の安政2年(1855年)、現社号に改称した。明治になり、村社に列した。御祭神は大己貴神。天照太神・素盞嗚尊を合祀している。
例祭は4月5日。夏季大祭が7月5日、秋季大祭が10月5日。広くない社頭から参道を進むと、社額「式内伊和神社」が掛かる明神鳥居がある。
拝殿の前には、昭和6年(1931年)建立の出雲丹後狛犬が安置されている。拝殿の後方には本殿がある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、開運招福、病気平癒
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・鳥取県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鳥取県に鎮座している神社の一覧
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伊和神社(いわじんじゃ)は、鳥取県鳥取市岩吉にある神社。鳥取港の近く、湖山池と千代川の間、山陰本線の湖山駅の東。木の実神社の先。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊和神社(因幡国・高草郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当社の南東80キロほどに、式内名神大社、播磨国一宮の同名神社がある。現在も両社は、国道29号線で結ばれている。
現在地から西北約100メートルに岩山がある。古来、岩室山と呼ばれ、その北側に隣接して大きな岩があり、神社岩、または岩室石と呼ばれた。
この巨岩の付近が旧地だったと考えられている。当初から岩室のある岩室村で祀られ、岩室大明神と呼ばれるようになった。伊和はつまり岩。
現在も圧倒されんばかりの巨岩は存在するが、民家の敷地内なので、立ち入りはできない。この地域は、縄文時代には海で、この岩室山は島だった、とも。
室町時代の応仁年間(1467年-1469年)、天下動乱のため神領が断絶した。後に回復したようだが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、兵乱により再度断絶。
江戸時代になると、社勢も回復したようで、江戸時代中期の明和6年(1769年)には岩室大明神と称して崇敬された記録が残る。
幕末の安政2年(1855年)、現社号に改称した。明治になり、村社に列した。御祭神は大己貴神。天照太神・素盞嗚尊を合祀している。
例祭は4月5日。夏季大祭が7月5日、秋季大祭が10月5日。広くない社頭から参道を進むと、社額「式内伊和神社」が掛かる明神鳥居がある。
拝殿の前には、昭和6年(1931年)建立の出雲丹後狛犬が安置されている。拝殿の後方には本殿がある。
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厄災除け、地域安全、開運招福、病気平癒
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