仁賢朝の勧請、平安期に名社と肩並べる、江戸期の造営記録
[住所]鳥取県岩美郡岩美町延興寺69
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高野神社(たかのじんじゃ)は、鳥取県岩美郡岩美町延興寺にある神社。山陰本線の岩美駅と大岩駅の間、県道37号線をずっと南下。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「高野神社(因幡国・巨濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

古墳時代、第24代仁賢天皇の御宇、壬申の年に勧請したと伝わる。西暦では492年に相当するという。『因幡誌』に「鐘撞大神祭神瓊々杵尊」とある。

平安時代の承暦4年(1080年)6月、因幡国の高野神は大江神、伯耆国の倭文神大神山神国坂神とともに、神事を穢したため中祓を科せられた。

名だたるこの地方の大社とともに名が記されており、往時の勢力が偲ばれる。鐘撞大明神と称し、もとは二上山の南の尾、高野坂に鎮座したが、中古に現在地に遷座した。

江戸時代前期の貞享元年(1684年)9月、江戸時代中期の宝永7年(1710年)6月、宝暦4年(1754年)3月、安永5年(1776年)2月の社殿造営の記録が残る。

貞享元年の棟札には、「是は本願高住村長郷村、池谷村、円江寺村、外村、大坂村、村中に不残」とあるという。

宝暦4年の棟札にもこの7ヶ村の氏子があげられ、安永5年のものになると、高住長郷はなく、延興寺・外村・大谷・大坂・池谷・唐川の6ヶ村より別当の寄進が確認される。

明治になり、村社に列した。主祭神は瓊瓊杵尊。合祀の国常立尊はもとは字釜戸に鎮座した摂社若一王子の御祭神で、明治元年(1868年)に合祀した。

他に、末社の神明宮(天照大神)・八幡宮(誉田別命)・神位社(倉稲魂命)を合祀した。例祭は4月9日が本祭、9月9日が秋祭。

鳥居を潜り、参道を少し進むと境内となる。正面に短い石段と社殿、右にイチョウの巨木がある。

拝殿は入母屋妻入りで、彫刻類はなく、質素な造り。両脇に灯籠があり、「寛政七卯七月日(1795年)」「石工佐七郎」が彫られている。

本殿は大きな入母屋の覆屋内にあり、造りは入母屋造平入の杮葺。正面に千鳥破風を置き、向拝は唐破風。八棟造り(宮殿造り)。

屋根下の組物は二手先斗栱や尾垂木など、向拝の木鼻は正面が獅子、側面が獏。彫刻が多く施されているのが特徴。本殿左脇にスギの大木がある。

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高野神社 鳥取県岩美郡岩美町延興寺
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