国史見2社と式内1社の3社、10月に袋井まつりで独特の屋台曳き回し
[住所]静岡県袋井市高尾193
[電話]0538-42-9079

赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ。赤尾澁垂郡辺神社)は、静岡県袋井市高尾にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「郡邊神社/郡辺神社(遠江国・山名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

東海道本線の袋井駅の東、県道251号線を進む。東海道新幹線の線路を越えて進むと、県道沿いに参道入口がある。

もとは郡辺神社。現在は赤尾渋垂神社と同社となり、現社号となっている。また、赤尾渋垂神社ももとは、赤尾神社、渋垂神社の両社だった。

郡辺神社の創祀は、奈良時代前期の養老元年(717年)、遠江国造の御霊を勧請したのが始まり。

天平11年(739年)、行基菩薩が開山した後の長楽寺が祭祀を司り、寺運も隆盛した。現在地ももと赤尾山長楽寺の敷地。

『日本三代実録』に元慶2年(878年)、赤尾神、渋垂神が従五位下に列したとある。いわゆる国史見在社である。

つまり当社は国史見2社に式内1社の3社からなる。なお、式内社「郡辺神社」の他の論社に、市内国本の七ツ森神社冨士浅間宮がある。

当社本殿は旧郡辺神社の本殿で、幕末の嘉永5年(1852年)に建造されたもの。甚五郎、つまり立川昌敬作と伝えられる。

明治5年(1872年)、郷社に列した。郡辺神社はもとは西通りに鎮座した。明治22年(1889年)の東海道本線の開通により袋井駅ができた。

そのため、駅前の整備計画の影響により、郡辺神社は明治33年(1900年)12月18日に現在地の赤尾渋垂神社境内に遷座した。

大正4年(1915年)、神饌幣帛料供進社に指定され、大正5年(1916年)に拝殿を改築。戦後にも修理を重ねた。

平成18年(2006年)、社殿の改築・社務所の新築・境内山林の整備が行われた。拝殿右の柱には「赤尾渋垂神社」、左の柱に「群辺神社」とある。

御祭神は、息長足姫命誉田別命玉依姫命伊弉諾命伊弉册命菊理姫命表筒男命中筒男命底筒男命表津綿津見神中津綿津見神底津綿津見神大己貴命

素盞嗚尊菅原道真・注連神社大神・猿田彦命天忍穗耳命・誉田別命を合祀している。例祭は10月中旬。浦安の舞が小学生女子の有志により奉納される。

祭礼は現在、袋井まつりの一つで、高欄二輪御所車式の屋台が曳き回される。遠州地方でしか見られない二輪屋台を上下左右に振りながら前に進む迫力のある独特な曳き方。

境内社に、白山妙理大権現がある。菊理姫命・印岐美命(遠江国造)・素戔鳴尊他4柱を祀る。山名神社・敢国神社・津島神社を合祀している。

白山妙理大権現の本殿は、安土桃山時代の天正16年(1588年)の建立。垂木などに禅宗様式を主体とした江戸時代初期の建築。

高さ2メートル、間口1.06メートルの木造で、木壇の上に建ち、正面入母屋造背面方形造り、瓦棒型板葺屋根。市有形文化財に指定されている。

印岐美命は物部印岐美連。物部氏の祖である伊香色雄命の子で、第13代成務天皇の御代、遠淡海国造に任じられた。当社始原の神か。

また、赤尾弁財天社がある。もとは白龍神を祀り、神仏習合時代は弁財天、現在は市杵島姫命日心姫命瑞津姫命が御祭神。

他に、礎国神社がある市内の明治、大正、昭和の英霊1365柱を祀る。昭和26年(1951年)11月、境内の若一王子神社の社殿を転用し、遷霊祭が行われた。

他に、八幡神社、山名神社、天王宮、赤尾敢国神社、天伯神社、天神社などを合祀している。

【ご利益】
家内安全、商売繁盛、交通安全、諸願成就
赤尾渋垂郡辺神社 静岡県袋井市高尾
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