もとは木根棚指村の一丈岩、10月には4台の二輪山車の祭り
[住所]静岡県周智郡森町三倉830
[電話]0538-86-0713
許禰神社(きねじんじゃ)は、静岡県周智郡森町三倉にある神社。三倉川の東岸、山裾に鎮座する。参拝すれば、書き置きの御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「許祢神社(遠江国・山名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。もとは現在地より北へ約4キロの山間の集落である木根棚指村の一丈岩に祀られていた。
しかし、江戸時代後期の享和元年(1801年)、山崩によって多くの氏子とともに埋没してしまった。
難を逃れたわずか二戸の氏子の手で細々と守られてきた。特に氏子の木根松次郎が自宅に遷して祭祀を続けた。御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。
明治6年(1873年)、浜松県官吏調査の結果、式内社に認定され、三倉郷14村と熊切郷の郷社に定められた。次第に、三倉郷のみで祀るようになった。
大正3年(1914年)、三倉区内への移転を決め、大正4年(1915年)7月5日、現在地に奉遷された。同年9月15日、三倉蛭子神社(事代主命)を合祀した。
大正11年(1922年)9月22日、黒田八幡神社(誉田別命)、西の峰金山神社(金山彦命)、大府川神明神社(天忍穂耳命)、中村西宮神社の四社を合祀した。
平成15年(2003年)には曲尾八坂神社(素盞嗚尊)を、平成21年(2009年)には舟場八坂神社(素盞嗚尊)を合祀した。
例祭は10月第4週日曜日。祭典中は4台の二輪山車(屋台。やたい)の引き回しが行われ、大正時代より続く「舞児迎え」「舞児送り」などが行われる。
徳川家康から拝受したと伝えられる直筆の「天下和平不生禍亂」の短冊が祀られ、境内にはそれを記した碑文がある。
境内には他に、若宮八幡社・守明稲荷神社がある。なお、式内社「許禰神社」の論社は他に、袋井市木原に当社および式内同名だが、読みが違う神社がある。
【ご利益】
家内安全、地域安全、夫婦和合、厄災除け(公式HP)
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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許禰神社(きねじんじゃ)は、静岡県周智郡森町三倉にある神社。三倉川の東岸、山裾に鎮座する。参拝すれば、書き置きの御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「許祢神社(遠江国・山名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。もとは現在地より北へ約4キロの山間の集落である木根棚指村の一丈岩に祀られていた。
しかし、江戸時代後期の享和元年(1801年)、山崩によって多くの氏子とともに埋没してしまった。
難を逃れたわずか二戸の氏子の手で細々と守られてきた。特に氏子の木根松次郎が自宅に遷して祭祀を続けた。御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。
明治6年(1873年)、浜松県官吏調査の結果、式内社に認定され、三倉郷14村と熊切郷の郷社に定められた。次第に、三倉郷のみで祀るようになった。
大正3年(1914年)、三倉区内への移転を決め、大正4年(1915年)7月5日、現在地に奉遷された。同年9月15日、三倉蛭子神社(事代主命)を合祀した。
大正11年(1922年)9月22日、黒田八幡神社(誉田別命)、西の峰金山神社(金山彦命)、大府川神明神社(天忍穂耳命)、中村西宮神社の四社を合祀した。
平成15年(2003年)には曲尾八坂神社(素盞嗚尊)を、平成21年(2009年)には舟場八坂神社(素盞嗚尊)を合祀した。
例祭は10月第4週日曜日。祭典中は4台の二輪山車(屋台。やたい)の引き回しが行われ、大正時代より続く「舞児迎え」「舞児送り」などが行われる。
徳川家康から拝受したと伝えられる直筆の「天下和平不生禍亂」の短冊が祀られ、境内にはそれを記した碑文がある。
境内には他に、若宮八幡社・守明稲荷神社がある。なお、式内社「許禰神社」の論社は他に、袋井市木原に当社および式内同名だが、読みが違う神社がある。
【ご利益】
家内安全、地域安全、夫婦和合、厄災除け(公式HP)
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