もと尾崎宮、今川氏から雨櫻神社とともに上下宮、祇園祭
[住所]静岡県掛川市上垂木981
[電話]0537-26-0593
六所神社(ろくしょじんじゃ)は、静岡県掛川市上垂木にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
天竜浜名湖線の細谷駅の東。原谷駅近くから県道81号線を東進して、県道373号線との交差点を南下。
創建年代は不詳。ただし、平安時代末期の保元年間(1156年-1158年)の国乱に際し、塩釜神社を合祀したという。
鎌倉時代末期に、当社北方にある雨櫻神社が焼失、当社に仮遷座した。雨櫻神社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)、現在地に遷座した。
この際、雨櫻神社の再興に尽力したのが今川氏で、今川氏は雨櫻神社と、当社を含めて「上下宮」とし、当社殿修理にも寄進した。
『掛川誌稿』によれば、「六所大明神二ノ谷と云う所の山にあり雨櫻天王の脇宮と称し、祠官の従仕ふる事上下の差なし」とある。
ただ、往時は現社号、あるいは六所大明神と称することなく、尾崎宮と呼ばれていたという。近郷小社五社を合祀して、初めて現社号が定着した。
江戸時代前期の延宝7年(1679年)、本殿が修理された。その際、小國神社の小国弾正の名代鈴木民部が遷座祭を斎行した。
また、江戸時代後期の天保3年(1832年)には現在の本殿の造替が行われた。明治になり村社に列し、後に神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は、塩土老翁命・金山彦命・舟玉命・倉稲魂命・仁徳天皇、他に不詳一座。地域でも重要な場所とされ、境内には桜木地区の英霊を祀る桜木御霊神社が創建された。
例祭は7月7日-14日で祇園祭。雨櫻神社との共催7日に大祭執行後、三体の神輿が雨櫻神社から当社に渡御して14日まで滞在、14日に還幸する。
8日からは当社において毎日正午に日祭が斎行される。13日の宵、下垂木中戈の中村氏庭において、宮人によるお獅楽の行事がある。
14日、神輿が小松原八幡の森の馬場において、休座の御前で獅子舞と流鏑馬奉納があり、その後雨櫻神社に還幸する。
近世までは毎年旧暦6月14日にこの例祭が行われ、掛川藩より領主の代参があり、幣帛が奉じられていた。
この祇園祭、この地区に怪獣が現れ、大暴れし、これを嘆いた近くの当社の神主が神の許しを得て、地元民らが馬に乗り退治した。
その怪獣を埋め、多くの神々を敬うこととなったのが起源、とされている。1年に1度の神輿渡御と、怪獣退治の故実がいつしか一緒になったもの。
小麦が収穫できる初夏の風物詩である「垂木の祇園祭」。「垂木の流鏑馬」「垂木の馬飛び」とも称された。
当社の御神木は垂木の大杉と言われ、樹齢は1000年以上だと推測されている。高さ18メートル、幹周り4.5メートル、根回り6.7メートルの巨木。
村境や道しるべとして昔から有名で、江戸時代中期の天明7年(1788年)の古文書にも記載されている。近年、この大スギの内部に山桜が根付き、共生している。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、病魔退散、五穀豊穣(公式HP)

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六所神社(ろくしょじんじゃ)は、静岡県掛川市上垂木にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
天竜浜名湖線の細谷駅の東。原谷駅近くから県道81号線を東進して、県道373号線との交差点を南下。
創建年代は不詳。ただし、平安時代末期の保元年間(1156年-1158年)の国乱に際し、塩釜神社を合祀したという。
鎌倉時代末期に、当社北方にある雨櫻神社が焼失、当社に仮遷座した。雨櫻神社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)、現在地に遷座した。
この際、雨櫻神社の再興に尽力したのが今川氏で、今川氏は雨櫻神社と、当社を含めて「上下宮」とし、当社殿修理にも寄進した。
『掛川誌稿』によれば、「六所大明神二ノ谷と云う所の山にあり雨櫻天王の脇宮と称し、祠官の従仕ふる事上下の差なし」とある。
ただ、往時は現社号、あるいは六所大明神と称することなく、尾崎宮と呼ばれていたという。近郷小社五社を合祀して、初めて現社号が定着した。
江戸時代前期の延宝7年(1679年)、本殿が修理された。その際、小國神社の小国弾正の名代鈴木民部が遷座祭を斎行した。
また、江戸時代後期の天保3年(1832年)には現在の本殿の造替が行われた。明治になり村社に列し、後に神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は、塩土老翁命・金山彦命・舟玉命・倉稲魂命・仁徳天皇、他に不詳一座。地域でも重要な場所とされ、境内には桜木地区の英霊を祀る桜木御霊神社が創建された。
例祭は7月7日-14日で祇園祭。雨櫻神社との共催7日に大祭執行後、三体の神輿が雨櫻神社から当社に渡御して14日まで滞在、14日に還幸する。
8日からは当社において毎日正午に日祭が斎行される。13日の宵、下垂木中戈の中村氏庭において、宮人によるお獅楽の行事がある。
14日、神輿が小松原八幡の森の馬場において、休座の御前で獅子舞と流鏑馬奉納があり、その後雨櫻神社に還幸する。
近世までは毎年旧暦6月14日にこの例祭が行われ、掛川藩より領主の代参があり、幣帛が奉じられていた。
この祇園祭、この地区に怪獣が現れ、大暴れし、これを嘆いた近くの当社の神主が神の許しを得て、地元民らが馬に乗り退治した。
その怪獣を埋め、多くの神々を敬うこととなったのが起源、とされている。1年に1度の神輿渡御と、怪獣退治の故実がいつしか一緒になったもの。
小麦が収穫できる初夏の風物詩である「垂木の祇園祭」。「垂木の流鏑馬」「垂木の馬飛び」とも称された。
当社の御神木は垂木の大杉と言われ、樹齢は1000年以上だと推測されている。高さ18メートル、幹周り4.5メートル、根回り6.7メートルの巨木。
村境や道しるべとして昔から有名で、江戸時代中期の天明7年(1788年)の古文書にも記載されている。近年、この大スギの内部に山桜が根付き、共生している。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、病魔退散、五穀豊穣(公式HP)

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