大若子命の子孫、御馬織連の祖、室町期に稲荷勧請、平成再建
御馬神社 石川県金沢市久安町1-178
[住所]石川県金沢市久安町1-178
[電話]076-258-0346 - 波自加彌神社

御馬神社(みうまじんじゃ)は、石川県金沢市久安町にある神社。北鉄石川線の野々市工大前駅の東、金沢工業大学を越えてさらに東進する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「御馬神社(加賀国・石川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創立年代は不詳。大若子命の子孫、一説に御馬織連(みまおりのむらじ)がこの地にとどまり、御馬皇子と呼ばれ、祖先神を祀った、とも考えられている。

大若子命は梅宮大社の御祭神の一柱に大若子神が見えるが、ここでは、大幡主命の別名と考えられている。

機織りの神として全国の幡生神社系のお宮で祀られている大幡主命は、特に能登を中心に北陸には大幡神社や幡生神社の社号が多くあり、当社もその一社か。

式内社「御馬神社」は平安時代前期の仁寿元年(851年)、正六位上に進んだ。平安時代末期の寿永2年(1183年)、木曽義仲の軍勢によって焼失した。

歴朝の崇敬が篤かった伝わる。室町時代の長享2年(1488年)、加賀国守護の富樫泰高が久安に下屋敷を営み、御馬稲荷を勧請した。

しかし、長享2年(1488年)頃から天正8年(1580年)にかけての加賀一向一揆による戦火で再度焼失。

社僧の天道院が代々奉仕し、天正年間(1573年-1593年)に尾山に移る時、同形の御神体を作り、御分霊の上、浅野川稲荷神社を創立した。

近世を通じて、三馬堂社・三萬堂稻荷・久安稲荷などとも呼ばれたが、明治になり現社号に復称。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治39年(1906年)には田中社、八幡社を合併、同年12月に神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は大若子神。室町期の稲荷勧請以来か、保食大神も祀る。天照大神・八幡大神を合祀する。御祭神の異説として、『神名帳考証』では都久宿禰としている。

式内社「御馬神社」の論社は他に、市内間明町に当社および式内同名神社がある。しかし、『日本霊異記』には「御馬河の里(中略)今石川郡久安村是なり」とある。

当社は一貫して、御馬堂とも呼ばれ、のちに二万堂と転語したこと、御馬川のほとりに鎮座したことなどから、『日本霊異記』の記述通り、当社が式内社としては有力。

昭和24年(1949年)8月10日、拝殿が改築されたが、歳月とともに社殿の傷みも甚だしく、平成4年(1992年)、境内整備も含めて社殿が再興された。

例祭は10月14日。境内には神馬像、獅子像、灯籠など奉納物が多い。境内社に稲荷社がある。この稲荷大明神が御馬稲荷か。

【ご利益】
産業振興、事業成功、五穀豊穣、商売繁盛
御馬神社 石川県金沢市久安町
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