もと白山社・福羅の宮、明治期に借屋の宮と呼ばれた式内論社を合祀
[住所]石川県小松市矢田町レ50
[電話]0761-74-8484 - 振橋神社
刀何理神社(とかりじんじゃ)は、石川県小松市矢田町にある神社。近代社格では村社。北陸本線の線路沿い、栗津駅と動橋駅の間。御朱印の有無は不明。
創立年月は不詳。古く江沼八郷の一つで八田郷と呼ばれていた地。第16代仁徳天皇の八田皇后の名代として 矢田連がいた地だった。
御祭神は菊理媛神。もとは白山社とも、福羅の宮とも呼ばれていた。明治11年(1878年)9月、普久良神社に改称した。
明治5年(1872年)10月に那谷村より旧拝殿を移築した。明治39年(1906年)11月、八幡神社とも、借屋の宮とも称していた無格社刀何理神社(応神天皇)を合祀した。
この刀何理神社が『延喜式神名帳』にある「刀何理神社(加賀国・江沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
この刀何理神社は、もとは現在地の北北東約800メートル、集落の東のはずれにあった。この合祀とともに現社号に改称した。
村社になり、明治41年(1908年)4月8日には神饌幣帛料供進社に指定された。大正6年(1917年)7月、幣殿の修復工事が行われた。
当地は、昭和30年(1955年)に小松市に合併されるまで、月津村と呼ばれていた。昭和61年(1986年)、社殿が造営され、同年10月10日には慶賀祭が行われた。
当社の例祭は9月15日で秋季例大祭。現在までに、一の台輪鳥居、二の台輪鳥居のそれぞれの扁額、また社号標にも「式内 刀何理神社」とある。
周囲をガラスで囲んだ千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿、その前には大正6年建立の出雲狛犬が安置されている。
境内には磐持石が安置されている。力比べに用いられる、いわゆる力石。大きさによって、五斗石・六斗石・七斗石とある。
なお、式内社「刀何理神社」の論社は他に、加賀市小塩町の貴船神社に合祀されたものがある。
【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け

【関連記事】
・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
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刀何理神社(とかりじんじゃ)は、石川県小松市矢田町にある神社。近代社格では村社。北陸本線の線路沿い、栗津駅と動橋駅の間。御朱印の有無は不明。
創立年月は不詳。古く江沼八郷の一つで八田郷と呼ばれていた地。第16代仁徳天皇の八田皇后の名代として 矢田連がいた地だった。
御祭神は菊理媛神。もとは白山社とも、福羅の宮とも呼ばれていた。明治11年(1878年)9月、普久良神社に改称した。
明治5年(1872年)10月に那谷村より旧拝殿を移築した。明治39年(1906年)11月、八幡神社とも、借屋の宮とも称していた無格社刀何理神社(応神天皇)を合祀した。
この刀何理神社が『延喜式神名帳』にある「刀何理神社(加賀国・江沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
この刀何理神社は、もとは現在地の北北東約800メートル、集落の東のはずれにあった。この合祀とともに現社号に改称した。
村社になり、明治41年(1908年)4月8日には神饌幣帛料供進社に指定された。大正6年(1917年)7月、幣殿の修復工事が行われた。
当地は、昭和30年(1955年)に小松市に合併されるまで、月津村と呼ばれていた。昭和61年(1986年)、社殿が造営され、同年10月10日には慶賀祭が行われた。
当社の例祭は9月15日で秋季例大祭。現在までに、一の台輪鳥居、二の台輪鳥居のそれぞれの扁額、また社号標にも「式内 刀何理神社」とある。
周囲をガラスで囲んだ千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿、その前には大正6年建立の出雲狛犬が安置されている。
境内には磐持石が安置されている。力比べに用いられる、いわゆる力石。大きさによって、五斗石・六斗石・七斗石とある。
なお、式内社「刀何理神社」の論社は他に、加賀市小塩町の貴船神社に合祀されたものがある。
【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け

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