孝元朝の創祀、春日大社の荘園で神田の地、社叢と井戸水、稲荷社
[住所]石川県金沢市増泉2-1-1
[電話]076-241-0701

春日神社(かすがじんじゃ)は、石川県金沢市増泉にある神社。『延喜式神名帳』にある「神田神社(加賀国・石川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

北陸本線の金沢駅と西金沢駅の間、犀川の南岸。北鉄石川線の西泉駅や野町駅からも。県道146号線と25号線の増泉交差点の近く。増泉春日神社とも。

第8代孝元天皇45年の創祀と伝わる。平安時代になると、当社鎮座の井出郷内の地は大和国三笠山春日大社の荘園(御厨)となった。

第62代村上天皇の御代、天暦元年(947年)、大和国三笠山の春日大社の神霊を勧請し、あらたに社殿・神庫を造営して春日社と称すようになったと伝わる。

当地は往昔、石川郡五箇庄と加賀郡小坂庄との両庄の地で、この地域はいずれも春日大社を勧請することになるが、五箇庄増泉村の当社がその嚆矢となったという。

神田・神畠を耕作して年貢を三笠山の神庫に納めてきたといい、そのため、式内社「神田神社」の論社になっていると思われる。

ただし、創建の天暦元年は『延喜式』の後。春日社になる前から祭祀は続けられていたようで、その際は神田神社と呼ばれていたものか。

式内社「神田神社」の論社は他に、白山市吉田町の式内同名神社と、白山市倉部町の八幡神社がある。

江戸時代前期の寛永年間(1624年-1645年)、加賀藩主前田利常が田中正全を当社の神職に任命し、以来田中家が代々神職を世襲した。

この田中家は、神仏習合の時代にも純粋な神職としての社家の家柄で、近世には京都の吉田神道家より当神職の代が変わるごとに神職裁可状を授与された。

藩政時代には、加賀藩歴代藩主の祈祷所として厚く崇敬されるとともに、五箇所総鎮守として近郷近在の多くの人々から広くその敬神の生活を支えた。

近代になり、旧社殿の老朽化が著しく目立つようになったため、昭和62年(1987年)10月、4年をかけて社殿造成事業を完遂させた。

御祭神は、武甕槌尊経津主尊天児屋根命・比咩大神の春日四神。現在は菅原道真公を合祀している。

例祭は10月5日-7日で秋期祭。春期祭が5月5日-7日。古くから伝わる特殊神饌「おあい」がある。火や水を通した熟饌(じゅくせん)。

また、正月、春秋の祭りに、境内と境内前の道路を照らす「あんどん」が献灯、奉納される。3年に一度の更新により連綿と続く奉納行事。

境内には出世稲荷神社(宇迦乃御魂神)がある。参道の赤鳥居は県下に広く知られ、平成24年(2012年)6月に改修・再建され美しい朱色が緑の森の中に映える。

当社叢は、市より保存樹林指定を受け、地域最上級の森とされる。夏はその木陰で、周囲よりも気温が数度低く、人々をはじめ鳥や動植物にとっても過ごしやすい環境。

鎮座地の増泉の名の通り、境内には井戸水が汲み上げられ、手水舎も整備されており、地域有数の美味しいお水として知られている。

当社は下記の9社を兼務している。当社を併せて「十社会」と名付けて、それぞれの社の隆盛と、相互扶助を通じて、地域活性化に貢献している。

間明町の御馬神社、國造神社、井出神社、米日吉神社、西金沢の八幡神社、高皇産霊神社、荒川神社、郷八幡神社、宇佐八幡神社

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・身体健全(公式HP
春日神社 石川県金沢市増泉
【関連記事】
石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
春日神社 石川県金沢市増泉の御朱印