饒速日命を祀る神田神社、田上駅の地、鉱泉の霊験で薬師に
[住所]石川県金沢市田上本町タ-23
[電話]076-221-4957 - 市姫神社
少名彦神社(すくなひこじんじゃ)は、石川県金沢市田上本町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「神田神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
金沢駅の東南、浅野川の東岸。県道209号線の田上本町東交差点を南下するか、県道10号線の館町交差点を北上して浅野川を越えていく。
創祀年代は不詳。もとは神田神社と呼ばれたようだが、「此ノ地古ヨリ鑛泉アリ、故ヲ以テ後世祭神饒速日命ヲ、医薬ノ神タル少名彦神ニ改ム」と伝承されている。
なお、この地に加賀国駅馬があったとされ田上郷は兵部省式に「駅馬五匹」とある田上駅で、今も加賀田上バス停近くに字「バンバ(番場/馬場)」が残る。
近くには鉱水の跡が今も残る。近世には「薬師」として、医薬の神として崇敬されたが、明治5年(1873年)、村社に列し、明治41年(1908年)3月、現社号に改称した。
昭和34年(1959年)、菅原道真を合祀し、菅原神社とも呼ばれるようになった。一の鳥居の扁額は「少名彦神社」だが、二の鳥居の扁額は「菅原神社」。
例祭は4月9日で祈年祭。藩政時代には虫送り太鼓が名物だったという。今は途絶えたが、太鼓そのものは倉庫に吊るして保管してある。
建物を揺るがすほど大きく響く太鼓だとされ、当地では新しい太鼓を子供たちに伝える取り組みも行われている。
参道には「神田神社」の柱があり、氏子が寄贈した提灯には「神田神社」「太鼓保存会」の文字も見られ、神田神社の伝承を今も色濃く伝える。
境内の狛犬は、大正11年(1922年)に北海道函館在住の二軒の寄進によって建立された、子犬を抱いているもの。
境内にある手水鉢は、江戸時代後期の天保11年(1840年)築造と刻まれている。
加賀郡の式内社「神田神社」の論社は他に、市内山ノ上町の小坂神社、神田の式内同名神社がある。
【ご利益】
病気平癒、無病息災、病魔退散、学業・受験合格

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・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧

[電話]076-221-4957 - 市姫神社
少名彦神社(すくなひこじんじゃ)は、石川県金沢市田上本町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「神田神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
金沢駅の東南、浅野川の東岸。県道209号線の田上本町東交差点を南下するか、県道10号線の館町交差点を北上して浅野川を越えていく。
創祀年代は不詳。もとは神田神社と呼ばれたようだが、「此ノ地古ヨリ鑛泉アリ、故ヲ以テ後世祭神饒速日命ヲ、医薬ノ神タル少名彦神ニ改ム」と伝承されている。
なお、この地に加賀国駅馬があったとされ田上郷は兵部省式に「駅馬五匹」とある田上駅で、今も加賀田上バス停近くに字「バンバ(番場/馬場)」が残る。
近くには鉱水の跡が今も残る。近世には「薬師」として、医薬の神として崇敬されたが、明治5年(1873年)、村社に列し、明治41年(1908年)3月、現社号に改称した。
昭和34年(1959年)、菅原道真を合祀し、菅原神社とも呼ばれるようになった。一の鳥居の扁額は「少名彦神社」だが、二の鳥居の扁額は「菅原神社」。
例祭は4月9日で祈年祭。藩政時代には虫送り太鼓が名物だったという。今は途絶えたが、太鼓そのものは倉庫に吊るして保管してある。
建物を揺るがすほど大きく響く太鼓だとされ、当地では新しい太鼓を子供たちに伝える取り組みも行われている。
参道には「神田神社」の柱があり、氏子が寄贈した提灯には「神田神社」「太鼓保存会」の文字も見られ、神田神社の伝承を今も色濃く伝える。
境内の狛犬は、大正11年(1922年)に北海道函館在住の二軒の寄進によって建立された、子犬を抱いているもの。
境内にある手水鉢は、江戸時代後期の天保11年(1840年)築造と刻まれている。
加賀郡の式内社「神田神社」の論社は他に、市内山ノ上町の小坂神社、神田の式内同名神社がある。
【ご利益】
病気平癒、無病息災、病魔退散、学業・受験合格

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