奈良朝創祀の古社、7月山王祭で山王悪魔払・獅子舞・神幸・奴行列
[住所]石川県金沢市大野町5-81
[電話]076-267-5636

大野日吉神社(おおのひよしじんじゃ)は、石川県金沢市大野町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

大野川が日本海にそそぐ河口付近。金沢駅の北西、県道60号を北西に進み、県道8号を左折、すぐの県道198号線との交差点を198号線に入って右折。

金沢港に近く、醤油の製造で有名な大野町。社殿が高台に位置するため、参道はかなり傾斜の急な坂道になっている。 背後には、大野やすらぎの森が存在する。

創建は奈良時代の天平5年(733年)と伝える。『村社日吉神社御由緒調査書』によると、近江国坂本の日吉大社東本宮から大山咋神を勧請したのが起源。

平安時代前期の貞観2年(860年)、日吉大社西本宮の大物主神を勧請して合祀した。保元年間(1146年-1148年)には非常な繁栄を誇ったという。

しかしその後、木曾義仲の軍勢や、賊徒の手によって、二度社殿が焼失。次第に威勢を失った。江戸時代になり加賀藩主前田家によって篤い崇敬を受けた。歴代藩主が当社に数度参詣した。

また、宝物の奉納や祈祷も行った。氏子の崇敬も篤く、創建から1000年、1050年、1100年を記念した3度の祭典が行われた。

明治7年(1875年)、それまでの山王権現との名称を廃して、現社号に改称した。明治35年(1902年)、境内末社菅原社を合祀、無格社から村社になった。

明治40年(1907年)には境内末社の鎮火社・西宮社・稲荷社を合祀。昭和6年(1931年)には郷社に昇格した。

主祭神の2柱の他、現在までに相殿神として、菅原道真公・火産霊神罔象女神埴山姫神蛭子神保食神・金毘羅神を祀る。

例祭は7月第4土・日曜日で例大祭、あるいは山王祭。金沢三大祭の一つ。市指定無形民俗文化財の山王悪魔払で知られる。

比叡山延暦寺の山伏が大野湊を通じて往来したことから生まれたといい、古来より大野町では「弥彦ばば」の通称で、代々16-17歳の若者によりその秘芸が継承されている。

町内600戸あまりを一戸一戸廻り、魔除けの舞を演じ、翌日には神輿渡御行列の神輿の後に随い、祭典の場で舞を奉納する。

加賀獅子舞も伝わる。総勢40-50人で、「頭」「棒振り」「笛」「太鼓」「三味線」をそれぞれ担い、町内を廻る。その大きさと舞い方に著しい特徴がある。

牙をむいて威嚇し、荒れ狂う獅子を、1人あるいは2、3人の「棒振り」が武器を持ち、業を尽くして打ちこらし、退治する勇壮な形が基本。

神幸祭が行われ、その先導はやはり市指定無形民俗文化財の奴行列が務める。全町内を廻り、両日の出し物が集結して舞を奉納する。

境内のイチョウは御神木で、加賀藩12代藩主前田斉広(在位:1802年-1824年)が鷹狩りの折りに参拝した際の記念植樹だと伝えられ、金沢一の大木だという。

社宝として、鎌倉時代に守護職富樫泰家が寄進した越前石製の山王猿がある。また、井波彫刻師・嶌川甚作の作である木彫漆塗り狛犬がある。

他に、大野弁吉作の白狐一対、丸屋獅子頭一基、黒獅子大型頭一基、下駄形獅子小型頭一基がある。

近隣の、大野湊神社とは深い関係があるとされる。石川県神社庁によれば現在、当社は大野湊神社の兼務社とあるが、独自の電話、ホームページがある。

【ご利益】
無病息災、病魔退散、身体壮健、地域安全(公式HP
大野日吉神社 石川県金沢市大野町
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