もとは万病に効く霊水近くに鎮座「薬師の宮」、獅子舞
[住所]石川県金沢市吉原町チ83
[電話]076-241-1458 - 諏訪神社
郡家神社(ぐんけのじんじゃ)は、石川県金沢市吉原町にある神社。いしかわ鉄道線の森本駅の東すぐ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「郡家神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
奈良時代の天平年間(729年-749年)の創祀。もとは吉原村山中杉ノ水と称する霊水の湧く近くに鎮座した。現在地の西南方の山間、オクノミヤの地。
吉原村は郡支配の拠点であり、郡家がおかれていたので現社名が定着した。また、加賀郡の一宮だったという。
旧鎮座地の霊水を飲むと、万病に霊験があるとされ、当社の別名は「薬師の宮」、医薬の神としても、信仰を集めた。
石撞別命(磐衝別命)から連なる加賀国造の累代の崇敬が特に篤く、社領の寄進などもあったという。
式内社「郡家神社」は平安時代前期の貞観18年(876年)7月21日、従五位下に進んだ。当社は、平安時代前期の延喜5年(905年)、神託によって現在地に遷座した。
もとより現社号で長らく呼ばれていたようだが、明治初年(1868年)、なぜか社名を少名彦那神社と称し、明治6年(1873年)8月、村社に列した。
明治45年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。大正9年(1920年)3月、現社名に改称した。
御祭神は大名持命。菅原道真と少彦名命を合祀する。明治初年には少彦名命が主祭神になっていたのかもしれない。
例祭は4月8日が春季祭、9月15日が秋季祭。柳川流の獅子舞が伝わる。戦前まで粋な「祇園囃子(ぎおんばやし)」で町内を練り歩いていた。
経費の面から、戦後は獅子舞を行うようになったという。吉原町集会所の縁の下に、祇園囃子の組み立て屋台の骨組みの一部が確認できる。
現在の獅子頭は、岸川町出身で、吉原町在住だった小西義弘の手によるもの。 昭和54年(1979年)に製作された。古獅子は昭和22年(1947年)、三階千嶺による製作。
昭和63年(1988年)、それまで途絶えていた獅子舞のお囃子「だんまる」「豊年」が復活。得物では、珍しい三ツ剣などもある。
社殿に向かって右手前に大ケヤキがあり、左手前にももう1本大きなケヤキがある。右のものは幹周4.19メートル、樹高28メートル、樹齢は1100年。
地上2メートルほどで二股に分岐しており、すぐ側に生育するもう1本の小ぶりのケヤキとともに3本になって空に伸びている。
なお、当社の南側の道路の向こうには、法華堂古墳群があった。直径約10メートル前後の円墳2基(1号墳・2号墳)と、全長70メートルの前方後円墳からなる。
この前方後円墳は吉原親王塚古墳。土師器高坏5個、須恵器有蓋高坏1組などが出土、6世紀前半ころの築造と推定されているが、現在すべて消滅。
また、法華堂古墳群の東には吉原七つ塚古墳もあったが、今は北陸自動車道の下になっている。他に、御所八ッ塚古墳群などもあった。
なお、式内社「郡家神社」の論社は他に、市内鈴見町の当社および式内同名神社と、三池町の日吉神社がある。
【ご利益】
病気平癒、無病息災、病魔退散、厄災除け
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郡家神社(ぐんけのじんじゃ)は、石川県金沢市吉原町にある神社。いしかわ鉄道線の森本駅の東すぐ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「郡家神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
奈良時代の天平年間(729年-749年)の創祀。もとは吉原村山中杉ノ水と称する霊水の湧く近くに鎮座した。現在地の西南方の山間、オクノミヤの地。
吉原村は郡支配の拠点であり、郡家がおかれていたので現社名が定着した。また、加賀郡の一宮だったという。
旧鎮座地の霊水を飲むと、万病に霊験があるとされ、当社の別名は「薬師の宮」、医薬の神としても、信仰を集めた。
石撞別命(磐衝別命)から連なる加賀国造の累代の崇敬が特に篤く、社領の寄進などもあったという。
式内社「郡家神社」は平安時代前期の貞観18年(876年)7月21日、従五位下に進んだ。当社は、平安時代前期の延喜5年(905年)、神託によって現在地に遷座した。
もとより現社号で長らく呼ばれていたようだが、明治初年(1868年)、なぜか社名を少名彦那神社と称し、明治6年(1873年)8月、村社に列した。
明治45年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。大正9年(1920年)3月、現社名に改称した。
御祭神は大名持命。菅原道真と少彦名命を合祀する。明治初年には少彦名命が主祭神になっていたのかもしれない。
例祭は4月8日が春季祭、9月15日が秋季祭。柳川流の獅子舞が伝わる。戦前まで粋な「祇園囃子(ぎおんばやし)」で町内を練り歩いていた。
経費の面から、戦後は獅子舞を行うようになったという。吉原町集会所の縁の下に、祇園囃子の組み立て屋台の骨組みの一部が確認できる。
現在の獅子頭は、岸川町出身で、吉原町在住だった小西義弘の手によるもの。 昭和54年(1979年)に製作された。古獅子は昭和22年(1947年)、三階千嶺による製作。
昭和63年(1988年)、それまで途絶えていた獅子舞のお囃子「だんまる」「豊年」が復活。得物では、珍しい三ツ剣などもある。
社殿に向かって右手前に大ケヤキがあり、左手前にももう1本大きなケヤキがある。右のものは幹周4.19メートル、樹高28メートル、樹齢は1100年。
地上2メートルほどで二股に分岐しており、すぐ側に生育するもう1本の小ぶりのケヤキとともに3本になって空に伸びている。
なお、当社の南側の道路の向こうには、法華堂古墳群があった。直径約10メートル前後の円墳2基(1号墳・2号墳)と、全長70メートルの前方後円墳からなる。
この前方後円墳は吉原親王塚古墳。土師器高坏5個、須恵器有蓋高坏1組などが出土、6世紀前半ころの築造と推定されているが、現在すべて消滅。
また、法華堂古墳群の東には吉原七つ塚古墳もあったが、今は北陸自動車道の下になっている。他に、御所八ッ塚古墳群などもあった。
なお、式内社「郡家神社」の論社は他に、市内鈴見町の当社および式内同名神社と、三池町の日吉神社がある。
【ご利益】
病気平癒、無病息災、病魔退散、厄災除け
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