額見の神明宮とも、加賀藩前田家の崇敬、「草かり亀」の伝承
気多御子神社 石川県小松市額見町サ58
[住所]石川県小松市額見町サ58
[電話]0761-74-0528 - 潮津神社

気多御子神社(けたみこじんじゃ)は、石川県小松市額見町にある神社。北陸本線の栗津駅の西。県道145号線と107号線が交差する近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「気多御子神社(加賀国・江沼郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。広大な社叢はキタ(気多)ノモリあるいは神ケ森(じんがもり)と呼ばれてきた。平安時代前期の仁寿元年(851年)、正六位に進んだ。

額見の神明宮とも称せられた。また、花山法皇(968年-1008年。第65代花山天皇(在位:984年-986年))の御立寄所とも伝えられている。

鎌倉時代初期の正治元年(1199年)以後、中院家が380年間にわたり、当地の領主として、神宝・幣帛を奉納、社殿を修理し、瑞垣を造り、社頭は常に盛大だった。

後土御門天皇の御代、戦国時代の明応9年(1500年)、正一位を授けられる。その後の戦国時代には、一向一揆などの兵火や大火で、神宝・古文書など多くが散逸した。

安土桃山時代の天正11年(1583年)、前田利家が社殿を修理し、神田を奉献した。江戸時代前期の明暦元年(1655年)、棟札に「神明宮」とある。

加賀藩3代藩主前田利常も社殿の再建、神領の寄進など特別に保護、社守には加賀藩士滝川玄蕃左門氏とその子孫が奉仕したという。

延宝年間(1673年-1681年)、瀧川家四代の社守六兵衛が淵に入って禊をしていた時、淵に棲む大亀が襲ってきたので、これを捕えて殺そうとした。

この時大亀が、末代に至るまで境内の草を取って生ぜしめないと誓約したので放免した。これにより、境内には一草も生じなくなったと伝わる。いわゆる「草かり亀」。

幕末の安政2年(1855年)8月、扁額に「神明太神宮」とあり、神明社などと呼ばれていたが、明治初年(1868年)、村社に列し、明治6年(1873年)に額見社と改称した。

明治12年(1879年)、現社名に改称した。大正14年(1925年)、郷社に列し、同時に神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は、大己貴神(気多大神)、菊理媛神(白山大神)、天照皇大神(神明大神)。例祭は9月23日。境内社に天満宮がある。

当社の神鏡には「天日方奇日方命」と鋳出されているという。当社では、「天日方奇日方命」が大物主神(大己貴命)の奇御魂としている。

また境内には、神馬像が安置されている。先の伝承に対応したものだろうか、亀像もある。他に、米俵像や五重石塔など。参道脇には龍の彫刻が施された灯篭が立つ。

三の鳥居脇には大正5年(1916年)建立の出雲狛犬が、拝殿前には明治4年(1871年)建立の狛犬がある。昭和42年(1967年)10月奉納の一体だけの玉乗り狛犬がある。

なお、当社は式内社「気多御子神社」に確定しているが、加賀市山代温泉の市之瀬神社に合併された神明宮が参考社とされる場合がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、開運招福、厄災除け
気多御子神社 石川県小松市額見町
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