粟ヶ岳山頂、天平期の創祀、磐座と無間の鐘の井戸、4月にさくら祭
[住所]静岡県掛川市初馬5149
[電話]0537-27-1089
阿波々神社(あわわじんじゃ)は、静岡県掛川市初馬にある神社。新東名高速道路の南、粟ヶ岳の頂上に鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「阿波々神社(遠江国・佐野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
粟ヶ岳は市の東北 標高532メートルの山。当社殿を中心に原生林が広がった所がだいたい当社の境内及び社有林となる。
境内には杉の巨木をはじめ 多くの樹木が混在している貴重な森。林野庁より航行安全のための保安林として指定され、市と県の天然記念物。
この森の中には大きな岩が散見されるが、それらは磐座として祀られてる。その中には、岩の割れ目が底なしの地獄穴と呼ばれるものもある。
奈良時代前期の天平8年(736年)の創建と伝えられている。掛川の里々はもとより 駿河・遠江地方の人々に広く崇敬されたという。
特に今川家の家老職であった掛川城主朝比奈氏に代々篤く崇敬され 寄進された社殿は荘厳だったと伝えられる。
しかし、元亀・天正年間(1570年-1592年)、武田・徳川の遠江をめぐる攻防で兵火を蒙り、社殿は焼失。その後神仏習合もあり 境内整備は思うようにいかなかったという。
明治6年(1873年)12月、郷社に列し、明治17年(1884年)には本殿をはじめ、拝殿なども改築した。
戦後、車社会の発達に伴い車道の整備が進んだこと、貴重な森と眺望のすばらしさ、桜の名所としても有名になったことで、粟ヶ岳に登る人が多くなった。
昭和57年(1982年)、社務所を新築、昭和61年(1986年)には創祀1250年を記念して 本殿を山頂の現鎮座地に移築し、拝殿を改築、昭和62年(1987年)3月に竣功した。
同年4月9日に遷座祭を 翌昭和63年(1988年)4月10日の例祭に合せて遷座奉祝祭を斎行した。その後も10年ごとに周年大祭を斎行している。
その後平成14年(2002年)3月には社務所を社殿東側に移築・改築し 平成18年(2006年)には御鎮座1270年記念の式年大祭を斎行した。
御祭神は阿波比売命。ほぼ当社にしか見えない神名。阿波国とのつながりを感じさせる。阿波の姫であれば、大宜都比売を連想させるが。
ただし、当社では阿波比売命の別名を天津羽羽神とする。これは土佐国二宮ともされる朝倉神社の御祭神である。
天津羽羽神は土佐国一宮である土佐神社の御祭神の味鋤高彦根神の妻とされる。ただ、当社伝では、天石戸別命の子で八重事代主命の后だという。
味鋤高彦根神と八重事代主命はともに大国主命の子であるが、事代主命の后といえば、三嶋溝橛耳神の娘の玉櫛媛命。
事代主命が玉櫛媛命との間にもうけたのが媛蹈韛五十鈴媛命であり、初代神武天皇の皇后になる。つまり、当社神は神武皇后の母、ということだろうか。
なお、『古事記』では、神武皇后の母は勢夜陀多良比売と表記され、三輪山の大物主命と結婚して生まれた娘とされている。
例祭は4月上旬。いわゆるさくら祭。シーズンには約500本の山桜、八重桜、ソメイヨシノが当社神域周囲に咲き乱れる。
この頃の粟ヶ岳は登山客、参拝客が多く、周囲は渋滞しやすい。東山バス停から案内標識に従って、牧之原茶園や街並みを見渡しながらのハイキングがおすすめ。
山頂から南は太平洋、大井川、伊豆半島、富士山静岡空港、北に南アルプスの大パノラマも楽しめる。さくら祭では、雛飾りなどが行われる。
境内社に、八重垣神社(素戔嗚命・櫛稲田姫など30柱)、白羽神社、八王子神社がある。
遠州七不思議の一つに挙げられる「粟ヶ岳の無間の鐘」の伝承では、鐘を井戸に投げ込んだと伝えられているが、その井戸が当社境内に残されている。
【ご利益】
リフレッシュ、縁結び、子宝・安産(公式HP)

【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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阿波々神社(あわわじんじゃ)は、静岡県掛川市初馬にある神社。新東名高速道路の南、粟ヶ岳の頂上に鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「阿波々神社(遠江国・佐野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
粟ヶ岳は市の東北 標高532メートルの山。当社殿を中心に原生林が広がった所がだいたい当社の境内及び社有林となる。
境内には杉の巨木をはじめ 多くの樹木が混在している貴重な森。林野庁より航行安全のための保安林として指定され、市と県の天然記念物。
この森の中には大きな岩が散見されるが、それらは磐座として祀られてる。その中には、岩の割れ目が底なしの地獄穴と呼ばれるものもある。
奈良時代前期の天平8年(736年)の創建と伝えられている。掛川の里々はもとより 駿河・遠江地方の人々に広く崇敬されたという。
特に今川家の家老職であった掛川城主朝比奈氏に代々篤く崇敬され 寄進された社殿は荘厳だったと伝えられる。
しかし、元亀・天正年間(1570年-1592年)、武田・徳川の遠江をめぐる攻防で兵火を蒙り、社殿は焼失。その後神仏習合もあり 境内整備は思うようにいかなかったという。
明治6年(1873年)12月、郷社に列し、明治17年(1884年)には本殿をはじめ、拝殿なども改築した。
戦後、車社会の発達に伴い車道の整備が進んだこと、貴重な森と眺望のすばらしさ、桜の名所としても有名になったことで、粟ヶ岳に登る人が多くなった。
昭和57年(1982年)、社務所を新築、昭和61年(1986年)には創祀1250年を記念して 本殿を山頂の現鎮座地に移築し、拝殿を改築、昭和62年(1987年)3月に竣功した。
同年4月9日に遷座祭を 翌昭和63年(1988年)4月10日の例祭に合せて遷座奉祝祭を斎行した。その後も10年ごとに周年大祭を斎行している。
その後平成14年(2002年)3月には社務所を社殿東側に移築・改築し 平成18年(2006年)には御鎮座1270年記念の式年大祭を斎行した。
御祭神は阿波比売命。ほぼ当社にしか見えない神名。阿波国とのつながりを感じさせる。阿波の姫であれば、大宜都比売を連想させるが。
ただし、当社では阿波比売命の別名を天津羽羽神とする。これは土佐国二宮ともされる朝倉神社の御祭神である。
天津羽羽神は土佐国一宮である土佐神社の御祭神の味鋤高彦根神の妻とされる。ただ、当社伝では、天石戸別命の子で八重事代主命の后だという。
味鋤高彦根神と八重事代主命はともに大国主命の子であるが、事代主命の后といえば、三嶋溝橛耳神の娘の玉櫛媛命。
事代主命が玉櫛媛命との間にもうけたのが媛蹈韛五十鈴媛命であり、初代神武天皇の皇后になる。つまり、当社神は神武皇后の母、ということだろうか。
なお、『古事記』では、神武皇后の母は勢夜陀多良比売と表記され、三輪山の大物主命と結婚して生まれた娘とされている。
例祭は4月上旬。いわゆるさくら祭。シーズンには約500本の山桜、八重桜、ソメイヨシノが当社神域周囲に咲き乱れる。
この頃の粟ヶ岳は登山客、参拝客が多く、周囲は渋滞しやすい。東山バス停から案内標識に従って、牧之原茶園や街並みを見渡しながらのハイキングがおすすめ。
山頂から南は太平洋、大井川、伊豆半島、富士山静岡空港、北に南アルプスの大パノラマも楽しめる。さくら祭では、雛飾りなどが行われる。
境内社に、八重垣神社(素戔嗚命・櫛稲田姫など30柱)、白羽神社、八王子神社がある。
遠州七不思議の一つに挙げられる「粟ヶ岳の無間の鐘」の伝承では、鐘を井戸に投げ込んだと伝えられているが、その井戸が当社境内に残されている。
【ご利益】
リフレッシュ、縁結び、子宝・安産(公式HP)

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