もとは浜名県主が祖神を祀った英多神社、後に浜名湖七神明の一つ
[住所]静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日122
[電話]053-524-0833

濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう、浜名惣社神明宮)は、静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「英多神社/英田神社(遠江国・浜名郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

天竜浜名湖線の三ヶ日駅の北、国道301号線と362号線が交わる西天王町交差点から別所街道を北進、三ヶ日西小学校の近く。

創始年代は不詳。もとは浜名県主が、その祖神である太田命を祀ったものだという。現在、太田命は境内摂社で祀られている。

太田命といった場合、猿田彦命本人かその子孫を示す場合も多いが、ここでは大田々根子命

つまり、県主は美和氏の系統だったようで、当社の鎮座地名も大輪山。三輪山と関係すると考えられている。

ただし、当社の境内案内では、『倭姫命世記』を引用し、太田命の導きにより、伊勢の神宮(伊勢神宮)が定まった、としている。

『倭姫命世記』の太田命は明らかに猿田彦命の子孫。これは、後述のように、伊勢神領になった後に、もとの御祭神と混同したものとも考えられる。

別の社前の案内では、浜名県主が祖神を祀ったこと、伊勢神領になったことで、主客が逆転したと考えられるとの記述がみられる。

第61代朱雀天皇の御代、平安時代の天慶3年(940年)8月、太宰官符により、伊勢皇大神宮(内宮)に平将門追討御祈の報賽として、遠江国に神戸が寄進された。

その際、当地も伊勢神領となったため、神明宮に変化し、現在の形になったという。御祭神は天照皇大御神

以来、浜名の惣社として、また浜名神戸の本拠地として崇敬されてきた。本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われた。

全国でも極めて稀な板倉造(井籠造。せいろうつくり)と呼ばれる古式の本殿であり、現在は国の重要文化財に指定されている。

また、特産である「三ケ日みかん」を伊勢神宮に献納した。さらに、昔から神服部氏が伊勢大廟に奉献する御初生衣の御清祓所とされたという。

将軍・国守の尊崇の念が厚く、特に 豊臣・徳川両氏の代々の将軍は掟を定めて朱符の田42石を寄進して崇敬した。

この地方には古くから浜名湖七神明という言葉がある。この辺り一帯が伊勢神領であった関係もあり、神明宮が多い。

七神名のうち、当社以外の他の六社は、只木神明宮、尾奈神明宮、大崎神明宮、野地神明宮、大谷神明宮である。

明治5年(1872年)8月2日、郷社に列し、明治40年(1907年)2月11日には神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は8月2日。現在は8月第1日曜日に行われているようだ。特殊神事として「夜半の御饌」が伝わっているという。

境内社は先の太田命社の他、天棚機媛神社(天棚機姫命)、浜名天満宮(菅原道真公)、天羽槌雄神社(天羽槌雄命)がある。

これら各社はいずれも、1月3日が例祭日になっている。羽槌雄神社の社殿も本社本殿とほぼ同じ造りで、県指定重要文化財。

地上に組まれた土居の上に板を組み、平入正面中央に脇柱を立てた戸口を構え、腰長押、内長押を取付けて板戸を内開きにする。

妻梁上に束を立てて棟木を受け、板壁上に桁を渡し、本社は垂木に茅葺、羽槌雄神社は目打板の流板葺となっている。

また、須佐之男神社、八幡宮(応神天皇・比売神・神功皇后)、貴船神社(高龗神)、白山神社(菊理媛神伊邪那岐神伊邪那美神)、八柱神社(五男三女神)、金毘羅神社(大物主神)、金山神社(大物主命)がある。

神域の大輪山の中腹に「神池(しんち)」がある。昭和の初め頃までは、清水が池を満たし、下手にある神田を潤し、神饌米を豊かに実らせた。

昔は、祭礼の宵に、氏子たちがこの池の水で身を清め、夜を徹して祈り続けたと伝えられている。境内には他に、さざれ石、万度石が安置されている。

他に、伊勢神宮の古材もある。平成5年(1993年)から20年間、神宮で玉垣として使われたもの。第62回式年遷宮の撤去古材として、当社に下賜された。

この古材を使用して、当社の本殿の鳥居と玉垣が再生され、安置されているものはその古材の一本。

【ご利益】
開運招福、厄災除け、一族・子孫繁栄
濱名惣社神明宮 静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日
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