引佐郡家、刑部の地、後に伊勢御厨の神明宮、広大な社域あった大社
[住所]静岡県浜松市北区細江町中川4641-1
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乎豆神社(おづじんじゃ)は、静岡県浜松市北区細江町中川にある神社。天竜浜名湖線の岡地駅の北すぐ。津田川の北岸。井伊谷川が北から東に流れる。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「乎豆神社(遠江国・引佐郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。古代、引佐郡家の所在地で、また、第19代允恭天皇の妃の名代として刑部が定められた地で、平安時代には伊勢の神宮(伊勢神宮)領の御厨となった地。

その関係で、伊勢を勧請したと思われ、現在も内宮に天照大御神を、外宮に豊受大神を祀る。長い間、神明宮と呼ばれた。

旧家記録によれば、寛平年間(889年-898年)に鏡太鼓が奉納されたという。社領5町8反を有し、大鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、西の宮鳥居などを有した大社だった。

江戸時代には、幕府から社領15石が寄進されていた。江戸時代前期の正保年間(1645年-1648年)、領主太田備中守から再建に際して木材を賜った記録が残る。

江戸時代後期の文化9年(1812年)6月5日、大洪水の被害に遭い、伝来の旧記などをすべて流出した。

しかし現在でも社宝に、刑部郷神明宮作次第書並に刑部神明領坪付書があり、また当社伝来の旧式調書もあるという。

神明宮作次第書では、刑部村、祝田村、五日市場村、広岡村の村民が参加して宮作りをしていた様子がうかがえる。

明治6年(1873年)3月、村社に列し、明治40年(1907年)1月12日に神饌幣帛料供進社に指定され、大正11年(1922年)8月3日には郷社に昇格した。

相殿神は天手力男命栲幡千千姫命瓊瓊杵命天児屋根命天太玉命。例祭は10月16日。社伝によれば、気賀広岡、浜松市江之島の神明宮は当社の御分霊だという。

境内社に、津島神社(須佐之男命)、若宮八幡神社(応神天皇)、諏訪神社、熊野神社、稲荷神社、春日神社がある。浅間・金山・秋葉の各社を載せている資料もある。

【ご利益】
開運招福、家内安全、五穀豊穣、厄災除け
乎豆神社 静岡県浜松市北区細江町中川
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