井伊家初代当主が拾われた地、直虎ゆかり、大河ロケ「天白磐座遺跡」
[住所]静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1150
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渭伊神社(いいじんじゃ)は、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある神社。天竜浜名湖線の金指駅の北、国道257号線を北進して井伊谷交差点を県道303号線に入る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「渭伊神社(遠江国・引佐郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『日本三代実録』に「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とある。

昔から井伊谷地域、「井の国」の中心として、井戸や井水を祭祀対象として信仰されてきたという。

上代より井伊郷三十余村の総社だった。近世までは、正八幡宮と呼ばれており、現在の御祭神も八幡の神々。

御祭神は、玉依姫命品陀和気命息長足姫命。往時は渭伊八幡宮とも、伊野屋社とも呼ばれたようだ。

当社の近くに、小掘遠州の庭で有名な名勝・龍潭寺がある。当社は、もとはその龍潭寺境内にあったとも伝わる。

平安時代の寛弘7年(1010年)正月元旦、遠江国井伊谷の八幡宮神主が御手洗の井の傍らに男児の捨て子を発見した。

この捨て子が後の井伊氏初代当主となる井伊共保である。龍潭寺の至近には今も井伊家発祥の井戸が現存する。

捨て子を拾った神主は、当時から八幡宮と呼ばれていた可能性のある当社の神主だった、のかもしれない。

どちらにしろ当社は、井伊共保とのつながりから、井伊氏の氏神として代々崇敬され、その中から後に井伊直虎が出る。

ちなみに、井伊共保は寛治7年(1093年)に亡くなるが、当時は八幡山地蔵寺と呼ばれていた龍潭寺に葬られた。

当社は南北朝時代(1336年-1392年)、一説に江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)に現在地へ遷座したともされる。

例祭は10月15日近い日曜日で例大祭。現在地、本殿の真後ろあたりに磐座がある。巨石が散在しており、大きいものは5メートル、小さいものでも1メートル。

薬師山とも呼ばれるこの地には、さまざまな姿で群れて総数約20の岩群を形成している。古代からの磐座信仰の名残で、いわゆる天白磐座遺跡。

この天白磐座遺跡がNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』のロケ地として使われ、当社を含めて、直虎ゆかりの地として今も人気が高い。

すぐそばに神宮寺川が流れているが、川沿いの崖にも巨石がある。いわゆる「鳴岩(なりいわ)」と呼ばれるもの。

この石のすぐ脇から川の方へ降りて行くと、この巨石の側面が見え、その大きさが実感できるという。

なお、ここからは多数の祭祀用の土器や勾玉などが出土しており、現在その一部は市地域遺産センターで展示されている。「渭伊神社境内遺跡」とも。

境内社として、参道に天白社、社殿の左手に英霊社・稲荷社・祖霊社、本殿周囲に若宮八幡社・水神社・御鍬社・菅原社・金山社・榊本稲荷社・モロード様伊豆社がある。

【ご利益】
厄災除け、リフレッシュ、安産、子孫繁栄
渭伊神社 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷
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渭伊神社 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷の御朱印