式内三論社、もと多賀神社、興覚寺後古墳、10月に山車
[住所]静岡県浜松市浜北区宮口1
[電話]053-545-7485

六所神社(ろくしょじんじゃ)は、静岡県浜松市浜北区宮口にある神社。天竜浜名湖線の宮口駅の北すぐ。国道362号線の南。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』遠江国麁玉郡にある「多賀神社」「若倭神社」「長谷神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

地名の宮口は、諏訪から天竜地方にかけて密集する「ミシャグジ」信仰の「ミシャグジ」が転訛したという説があり、当社も「ミシャグジ」信仰の社だったともされる。

創祀年代は不詳。前方部を西、後円部を東に向けた全長33メートル、後円部の高さ約2メートルの前方後円墳である興覚寺後古墳に鎮座する。

後円部の中央には使者を葬った横穴式石室があり、南側に入口がある。石室の床には玉石が敷かれ、副葬品として直刀、鉄鏃、馬具、菅玉、須恵器が発見された。

古墳時代、この付近で最も早く横穴式石室を設けた古墳だったと考えられている。当社は昔、多賀神社と呼ばれていたという。

式内社「多賀神社」の論社は他に、高根神社がある。当社は、麁玉郡の宮口村・新原村・大平村・堀谷村・灰木村の5ヶ村を包含した大氏神として崇敬された。

南北朝時代末期の明徳年間(1390年-1394年)、社殿が修造された記録が残る。また、江戸時代初期の元和3年(1617年)にも修復された。

江戸時代前期の元禄12年(1700年)、大石佐五兵衛氏が社人となった。江戸時代中期の安永8年(1780年)11月、社殿修復が記録されている。

内山真龍『遠江国風土記伝』では、六所明神の社、つまり当社が申堂、つまり庚申寺の北東にあり、申堂と合わせて式内社「若倭神社」であるとしている。

なお、式内社「若倭神社」の論社は他に、市内東区笠井町の春日神社に別殿として祀られている式内同名神社がある。

他に、当社を式内社「長谷神社」に比定する説もあるが、他の論社に、堀谷に当社と同名神社がある。

江戸時代後期の寛政9年(1797年)9月、稲荷神社若宮の守護として末社が建立され、この後稲荷大明神が稲荷神社と称されるようになった。

明治39年(1906年)9月、村社稲荷神社社殿と亘殿が再建された。明治45年(1912年)4月、神饌幤帛料供進社に指定された。

昭和56年(1981年)11月、拝殿、亘殿、手水舎が再建された。御祭神は、綿津見三神と住吉三神の計6柱。

綿津見三神は、底津綿津見神中津綿津見神上津綿津見神
住吉三神は、底筒之男命中筒之男命上筒之男命

例祭は9月15-16日で例大祭。現在は9月第2金・土・日曜日にみやぐちの祭り、宮口祭り(宮口まつり)が行われている。

7台の山車の巡行と宮入が行われる。中でも、二福神車は江戸時代後期の文政4年(1821年)に名古屋市の下花車地区で造られた由緒ある三層構造の山車が現存する。

最終の日曜日には境内で餅まきが行われる。他に、2月21日が春祭で祈年祭、11月23日が秋祭で感謝祭。

境内社に、神明社・吉池神社・大山祇神社・春日神社・水神社・稲荷神社・若宮八幡宮・秋葉神社・池鯉鮒神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、交通安全
六所神社 静岡県浜松市浜北区宮口
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