もとは高見山、高見城落城で山麓に遷座、10月例祭に佐野式三番叟
矢降神社 兵庫県丹波市氷上町佐野15-1
[住所]兵庫県丹波市氷上町佐野15-1
[電話]0795-82-0018 - いち神社

矢降神社(やぶりじんじゃ)は、兵庫県丹波市氷上町佐野にある神社。佐野集落から高見山に林道を約1キロほど入った山中に鎮座する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「奴奴伎神社/奴々伎神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

創立年代は不詳。往古、佐野・稲畑・新井の人々が高見山に小さな社を建てて、産土神として崇敬し、弓の神事を行っていたという。

平安時代末期の応保元年(1161年)、平清盛の祈願所になったという伝承が残っている。

およそ700年前、高見山の山頂にあった佐野城が落城し、当社殿も焼失したという。しかし、高見山の山頂のは高見城。

この高見城は、鎌倉時代末期の嘉暦2年(1327年)、丹波国守護職にあった仁木頼章が築いたもの。築城が約700年前。

室町時代後期には赤井家清が城主となったが、安土桃山時代の天正7年(1579年)、織田信長の命を受けた明智光秀の兵火によって落城した。

つまり落城は約450年ほど前となる。おそらくこの時、現在地に遷座したものと考えられる。ただし、高見城築城時の鎌倉末期に遷座したとも。

遷座後、現在地に社殿が造営されたようだが、それから100年ほど後、江戸時代前期の貞享3年(1686年)、社殿は改修された。

社名は昔、弓の神事をしていたことから起こったといわれ、また、佐野城(高見城)落城の際、山頂から矢が降って来たからだとも伝えられている。

矢が降る、ということで言えば、やはり式内社「奴奴伎神社」の論社である稲畑の式内同名神社にも関連伝承が残る。

それによれば、高宮城の守護神だった稲畑の社は、南北朝時代初期の建武4年(1337年)、高宮城の落城とともに焼失。

しかし、御幣や鏡、矢などは稲畑村の東方に降り注いだ。そこでその地は矢降塚と呼ばれるようになり、泉山西の麓に幣矢を勧請、社殿を造営して矢降大明神と号した。

式内社「奴奴伎神社」と「矢降」の符号は不詳。式内社「奴奴伎神社」の他の論社に、新郷の伊尼神社がある。

なお、『沼貫村誌』によれば、高見城落城に際し、山麓の鴨野・稲畑・佐野の3ヶ村に分祀し、それぞれ矢降神社と称したともいう。稲畑が現在の奴々伎神社か。

昭和8年(1933年)、境内を拡張し、本殿も改築した。平成になってだろうか、火災で社殿が焼失。平成22年(2010年)6月、再建された。

御祭神は高皇産霊神御年神稲倉御魂神を合祀している。例祭は10月17日。市無形民俗文化財に指定されている佐野式三番叟が奉納される。

この三番叟がいつどこから伝えられたか全くわからない。明治29年(1896年)銘の幕があり、明治初年(1868年)には始まったのではないか、と考えられる。

戦後一時中断したものを近年保存会を結成し、復興した。翁・千歳・三番叟(黒式尉とも)の三部曲を演じ、囃し方・地謡後見役などがある。

演者は、翁を青年が白色面をかけ、千歳は小学校2-4年生、三番叟は小学校5年-中学校1年生が当り、黒面で鈴をもって踏む。

横笛数人・小鼓2人・拍子1人からなる囃し方、大謡2人・小謡2人からなる地謡は青年が行う。その他面箱持ち1名がある。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域安全
矢降神社 兵庫県丹波市氷上町佐野
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