沼池大神、南北朝期に焼失して矢降大明神、10月例祭は稲畑式三番叟
奴々伎神社 兵庫県丹波市氷上町稲畑210
[住所]兵庫県丹波市氷上町稲畑210
[電話]0795-82-0018 - いち神社

奴々伎神社(ぬぬぎじんじゃ)は、兵庫県丹波市氷上町稲畑にある神社。加古川東岸。福知山線の石生駅の南西、国道175号線を西進、宝光寺の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「奴奴伎神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創立年代は不詳。もとは高見山に鎮座したが、その山麓に大沼があったため、沼池大神と尊称された。御祭神は高皇産霊神

平安時代前期の仁和3年(887年)、地震により社頭が破損し、同年大雨により社殿が倒壊した。そこで仮殿を建て、寛平5年(893年)、社殿を再建した。

鎌倉時代末期の嘉暦2年(1327年)、仁木越後守は当社境界に城郭を築き、その城郭は高宮城と呼ばれたが、当社はその高宮城の守護神として崇敬された。

南北朝時代初期の建武2年(1335年)、仁木伊賀守は久下時重と図り、足利高氏(尊氏)に味方した。

そのため、江田義行に攻められ、建武4年(1337年)、高宮城は落城。当社もすべて焼失した。

しかし、御幣や鏡、矢などは稲畑村の東方に降り注いだ。そこでその地は矢降塚と呼ばれるようになり、泉山西の麓に幣矢を勧請、社殿を造営して矢降大明神と号した。

江戸時代前期の天和2年(1682年)、再建された。その際、大年神を合祀した。現在の配祀神には御年神が記されている。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治35年(1902年)には佐田神社を、明治41年(1908年)には大年神社を合祀した。

明治41年、本殿の位置を境内の山腹に変更し、拝殿を新設した。明治42年(1909年)、無格社八幡神社(誉田別命)を合祀した。

例祭は10月9日。「稲畑式三番叟」の能楽が奉納される。「とうとうたらり、たらりら……」「オンハ、オンハ、オンハ、オンハ……」という独特の囃子。

意味不明だが言霊を感じる囃子だという。演者は少年たち。単調かつ象徴的意味合いのある動作を延々1時間ほど演じる。

本殿の舞堂で奉納されるが、観客はほとんど地元の住民で、境内では住民がおでんややきそばを販売、熱燗を呑みながら舞台に声援を送る。

なお、式内社「奴奴伎神社」の論社は他に、新郷の伊尼神社、佐野の矢降神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、平穏安寧、子孫繁栄、健康長寿
奴々伎神社 兵庫県丹波市氷上町稲畑
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