大蛇が池で血を洗った伝承、飛鳥朝に3天皇の父である知奴王を奉斎
知乃神社 兵庫県丹波市市島町南592
[住所]兵庫県丹波市市島町南592
[電話]0795-74-0646 - 阿陀岡神社

知乃神社(ちのじんじゃ)は、兵庫県丹波市市島町南にある神社。福知山線の市島駅の東南、舞鶴若狭自動車道の北。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「知乃神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、「白鳳13年甲中年春大錦下羽田失岡創立」。白鳳13年(662年)春、創立だというが、「大錦下羽田失岡」は不詳。

当社地から南方約5キロの妙高山山頂に神池寺がある。その境内に「澄まずの池」と称する周囲10メートルほどの池が現存する。

寺伝によれば、手傷を負った大蛇が暴れ回った。その大蛇が当村に逃れ、当社地の池で血を洗ったため、「血の池」と呼ばれ、それが社名になったという。

一方で、飛鳥時代の第40代天武天皇12年(683年)、第30代敏達天皇の第二皇子である知奴王を奉斎したという。この知奴王が社名の起源とも考えられる。

敏達天皇の第二皇子に知奴王は見えない。敏達天皇の皇子である忍坂日子人太子の子に智奴王がいる。茅渟皇子・茅渟王とも書かれる。

『古事記』には名のみの記載だが、第35代皇極天皇・第37代斉明天皇となる宝女王と、第36代孝徳天皇である軽王の父に当たる。

神名として、知奴王命と表記される。南北朝時代の康安元年(1361年)、兵火により社尼僧房、五層の塔などすべて焼失した。

室町時代の応永6年(1399年)10月、将軍足利義持が阿間利能海に命じて社殿を造営させた。江戸時代初期の慶長18年(1613年)、後水尾天皇が勅額を下賜した。

明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正8年(1919年)には春日神社を合祀、昭和5年(1930年)10月17日、神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は9月1日。境内社に八幡神社、稲荷社がある。なお、式内社「知乃神社」の論社は他に、市内市島町梶原の鴨神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全
知乃神社 兵庫県丹波市市島町南
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