奈良期に疱瘡平癒で創立、10月例祭で伝統の太刀振・太鼓踊の奉納
[住所]京都府綾部市中筋町岩ケ下13
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島萬神社(しままのじんじゃ)は、京都府綾部市中筋町岩ケ下にある神社。舞鶴線の淵垣駅の北、梅迫駅の西。綾部JCTの南、県道484号線の東。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「島万神社(丹波国・何鹿郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

鳥居の脇の社号標には「式内 島萬神社」、鳥居の扁額には「嶋萬神社」、境内の案内板には「島万神社」。読みも、「しままん」「しまま」など。

社伝によれば、奈良時代の天平8年(732年)、諸国に疱瘡が流行したため、翌天平9年(737年)、疫病平癒祈願のため各地に勧請された社の一つ。

御祭神は須佐之男命。しかし、『明治神社誌料』では大那牟遅命少名彦名命、『綾部市史』などでは、さらに足名推神・手名推神櫛名田比賣神も配祀とある。

『式内社調査報告』によれば、もとは秦氏系の古代氏族の祖神だったが、律令制の神祇政策により出雲系神話の神に改神したという。

江戸時代まで、当社に接して別当寺薬王山海蔵寺があり、当社は本地仏薬王を祀り、五社大明神とも、薬王大菩薩社とも称された。

明治6年(1873年)、郷社に列し、明治10年(1877年)には式内認定され、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。

昭和3年(1928年)時点では、「今や進んで府社にも昇格せられんとす」という記録が残るが、実現はしなかったようだ。

例祭は10月10日。中世末期に流行した風流踊を伝える、400年の伝統があるとされる太刀振(オンヤー)・太鼓踊(テンテコテン)が奉納される。

祭礼の当日、氏子がそれぞれの役の服装を整えて「一の鳥居」前に集まり、9時から約300メートルの参道を、大太鼓の音に合わせて掛け声をかけながら練り込む。

拝殿の中で、左側は太鼓踊、右側は太刀振と分かれて奉納する。府無形民俗文化財に指定されている。

太鼓踊は、真発意(しんふち。大人1人)を中心に、親発意(おやふち。子供1人)・子発意(こふち。子供2人)合わせて4人で、およそ畳1枚の範囲を動き踊る。

太刀振の装束は「太鼓踊」の「親発意・子発意」と同じで、動作をする時、御祭神である須佐之男命が大蛇退治をした故事にちなみ、オンヤーとかけ声を掛ける。

振り物は露払い・妻隠し・小太刀・野太刀・小長刀・大長刀の6種類あり、子供から大人まで2人ずつ、すべて真剣で奉納される。

太鼓踊は主に男女の恋愛感情を表現し、地域や子孫繁栄の願いが込められており、太刀振は太刀で疫病を振り払い、厄除けや雨乞いの意味が込められているという。

境内社に、招魂社、八幡社、市杵嶋姫社、稲荷社、斎神社、八坂神社、猿田彦神社、安井神社などがある。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、病気平癒、地域安全
島萬神社 京都府綾部市中筋町岩ケ下
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